あいの歌をもう一度
19
部屋に入ってきたのは当然のごとくアーサーだった。フランシスの先程の言葉を聞いていたのかいないのかはわからないが、彼はとても苦い顔をしていた。
「……イギリス、わかってるよな?」
開口一番に彼はイギリスの名前を呼んだ。名前を呼ばれてイギリスはためらうような仕草を見せたが、アーサーの問いかけに小さく頷いた。
「来い、イギリス」
呼ばれるままに出ていこうとするイギリスをフランシスは自分の胸元へと抱き上げた。
「ダメだ!」
「……フランシス、イギリス渡してくれ」
静かにアーサーが告げる。だが、フランシスは首をふった。
「嫌だよ、アーサー。イギリスはもう俺の家族なんだよ。だから……」
ぎゅっと胸元にいるイギリスをフランシスは握りつぶしそうになる。ぐえっとイギリスが小さく唸る。
「あっ、ごめん、イギリス。大丈夫?」
「だ、大丈夫だ」
イギリスは今、なんだか嬉しいような悲しいような複雑な気分だった。
「フランシス…」
アーサーが名前を呼ぶ。しかしフランシスはそれに首を振った。
「ダメだ、ダメだ、ダメだ!お願い、やめて!壊さないで、奪わないで!」
「フランシス…」
過剰とも言えるフランシスの反応に困ったようにイギリスが名前を呼んだ。だがそれにもフランシスは首を振るばかりだ。フランシスの拒絶を受けて固まっていたアーサーがゆっくりと動いてフランシスのいるベッドに腰かけた。その反動でベッドが揺れイングランドは慌てて転ばないようにしがみついた。
振動が治まりほっと一息つくとしがみついたのがフランシスではなくアーサーであることに気付いた。イングランドがアーサーを見上げるとアーサーは苦しそうに、悲しそうにフランシスを見ていて、そんなアーサーを見てイングランドも悲しくなった。
「フランシス…」
アーサーの声にぴくりと肩が震える。
「頼むから、イギリスを渡して、じゃなきゃフランスもガリアもイングランドも、皆壊さなければならなくなる。」
その声にまたフランシスは肩を震わせる。
「アーサー…」
「フランシス、頼むから…」
痛切な声にフランシスはアーサーを見た。アーサーは苦い顔をしてこちらを見ている。よくよく考えればアーサーだってこんな役目をしたくないはずだ。けれど、自分で作ったものだから自分で何とかしなくてはと彼は思っているのだ。それが制作者の責任であるから。見つめあうこと数秒。色んな思いが二人の間を行ききする。それでも、フランシスが何かしら否定の言葉を口にしようとしてフランスに阻まれた。
「ねぇ、バグを移すことはできないの?」
「バグを、うつす?」
フランスのその言葉に反応したのはアーサーだった。
「どういう意味だ?」
更にアーサーが聞く。
フランシスとイギリスはそんな二人を固唾を飲んで見ていた。
「だから、バグ本体を別の場所に移すの。感染源もね。まぁ、イギリスがダメなら俺とかさ」
簡単に告げられた言葉に一同が目を向いた。
「なんでそんなこと……!」
アーサーが驚きのままに思いを口にするとフランスは嬉しそうに笑った。フランスは最初からそのつもりだったのだ。
「俺はアーサーになら壊されたっていいよ。それにこれって誰かが責任をとらなきゃいけないことじゃない。その誰かに俺がなってもいいよって言ってんの。」
可憐にアーサーを見て笑うフランス。
「それにアーサーにはもうフランシスがいるじゃない。だったら俺はお役ごめんのはずでしょ」
恨みがましくもなく、あくまで明るくフランスは言い切った。
「俺は」
お前を失いたくないんだ。その言葉がどうしても喉の奥から出てこなかった。フランスは飄々と告げる。
「犠牲ならすくないほうが断然いいでしょ? 俺一人が壊れれば万事解決するってんならそれでいいじゃん。そっちのほうが簡単だし」
簡単にフランスは言ってのけた。話を聞いていたガリアが泣きそうな顔をする。イングランドはすでに泣き出してフランスの身体に抱きつきにいっている。そんな彼の頭を撫でながら淡々とフランスは告げる。
「最善策ならそういうのがぴったりだろ?」
フランスの言葉にアーサーの顔が歪んだ。確かに最初はただの身代わりだった。フランシスとともに友達も皆を失って寂しくて、悲しくて、そんな思いが形になったもの、それがフランスだった。イギリスだった。ボーカロイド達だった。家族と言ったフランシスにこいつらは機械だと答えた。それでもいつでも側にいて支えてくれたのは誰でもない。フランスだったのだ。だから…
「バカなこというな!俺に壊されてもいいなんて、二度と言うな!」
アーサーは叫んだ。しかし、フランシスはそれに冷静に答える。
「でもイギリスは壊すんでしょう?だったら俺を壊したって代わりはないと思うけど?」
全然違う。フランシスの分身とアーサーの分身。どちらが大切なんて言うまでもなく、でもどちらも自分が作った大切なボーカロイド達だった。
病室の中に沈黙が漂う。
「バカなこと言うな。」
フランスが沈黙を壊した声の方に目を向ければイギリスがフランシスの手の中で目をつりあげていた。
「ふざけんな、髭!一人だけ格好つけてんじゃねぇよ!壊れるのは俺だ。全ての責任は俺にある。勝手なこと言ってんじゃねぇよ、おっさん!」
捲し立てられた言葉を飄々とフランスはかわす。
「お兄さんがかっこいいのは仕方ないことじゃない。まぁさ、お前はフランシスが必要としてくれてるし、ガリアやイングランドだってそれは同じだろ」
フランシスを見上げてフランスは淡く微笑む。自分と同じ顔をしているのにフランシスには彼が自分よりずっと強く見えた。
「それにアーサーが俺をたくさん愛してくれたから、俺はアーサーの役に立ちたいよ。俺がアーサーの役立てるなら何に使われたって構わないさ」
「自分が殺されるとわかっていてもか?」
イギリスの怒りを孕んだ声にフランスは淡く微笑むだけだった。
「だからお前は馬鹿で阿呆で髭でワイン野郎何だ!」
何もかも受け入れて諦めたような顔をするフランスにイギリスは無性に腹が立った。
「ガリアを見ろ、イングランドを見ろ!こんな風に泣かしてるのはお前なんだぞ!アーサー!てめぇも何とか言えよ!」
叱咤されてアーサーは何か言おうと口を開いたが何も言葉が浮かんでこない。怒鳴られたフランスは先程と同じように微笑んでいるが、よくよく見ればその額に青筋が浮かんでいる。
「ガリア〜、ちょっとイングランド預かっててくれる?」
「えっ、あ、うん。おいで、イングランド」
イングランドをそそくさとガリアはフランスから引き剥がした。フランスは苛ついているイギリスに向き直り、軽薄な笑みを浮かべた。
「あのさ、お前だってさっきにたようなこと言ってただろ。それとも何? 眉毛には何か新しい打開策が思い付いてるわけ?」
その問いかけにイギリスは答えられない。
「えっ……、いや……、その」
イギリスの様子にフランスはため息をつく。
「ないなら言わないでよ。虚しくなるから」
「だけどっ、お前が犠牲になることないだろ。お前には関係ないことだし」
弱々しく告げられた言葉にフランスは冷たい視線を向けた。
「お前が犠牲になることだってねぇんだよ。バカが。」
フランスは吐き捨てるように答えた。その言葉の冷たさにイギリスがひるむ。フランスは笑顔だったがどうしようもなくキレていた。
「でも、フランスは関係ない…」
弱々しく反撃するがそれは今のフランスにはざれ言にしか聞こえない。
「関係ないわけあるか。これは俺たち全体の問題なんだよ」
吐き捨てるように告げ、フランスはアーサーを見上げる。
「アーサー、決断しろ。俺を壊すか、それともイギリスを壊してフランシスにまた嫌われるか。どちらかを選べ」
睨み付けるように言われ、アーサーは怯む。フランスを失いたくはない。なのに、何にも打開策が思い付かなかった。嫌な沈黙が部屋を支配する。すると、今まで黙っていたフランシスが唐突に口を開いた。
「ねぇ、バグを移すならボーカロイドじゃなくてもいいんじゃない……?」
「えっと…バグって病気なんでしょ?でイギリスが病気だからイギリスを壊そうとしてるんだよね?」
間違ってる?
フランシスが首をかしげてフランスに問うとフランスは間違ってはいないと答えた。
「フランスが言ってるのはイギリスの病気をフランスに移してフランスを壊すってことだよね?」
再度確かめるフランシスにフランスも再度頷いた。
「病気ってうつるんでしょ?なら別にこの子達にうつさなくても他の何かにうつすことはできないの?」
だったら誰も壊さなくていいよね?と聞くフランシスにフランスは考え込んだ。確かに理論上出来ないこともない。ようはバグを受け入れる器があれば良いわけだ。閉じ込めてそのまま消去できるように。
可能かもしれない。フランスはそう考えアーサーの反応を見る。しかし、アーサーは依然として難しい顔で考え込んでいる。
「いや、無理だな。」
苦い顔でアーサーが考え出した結論を告げる。
「フランスも悪いがそもそもバグを移すという時点で問題が生じる。こいつはもはやバグそのものだ。バグをうつすならそのままこいつのほとんどを感染部分として切除しなければならなくなる。たとえ切除に成功したとしてもリカバリーは免れない。そうなればイギリスは今までのイギリスではいられない。お前たちもそうだ。バグを、心システムを除けばお前たちはただの機械だ。」
「それでも生きてるんでしょ?」
フランシスの問いにアーサーは首をふる。
「いいや、こいつらにとって問題は体じゃない。中身だ。ボディはいくらでも作ることができる。でもいろんな経験をして作り上げられた思い出、人格は二度と同じものを作り上げることはできないんだ。フランシスは勘違いしてる。例えイギリスを壊してもまたイギリスは作ることができる。でもそれはお前の知っているイギリスじゃない。そしてイギリスを生かしても結局このままではイギリスの中身を消去し、白紙に戻さなくてはどうにもならない。それはイギリスの死とかわりないんだ。フランスにバグを移してもイギリスの運命は変わらない。お前たちもだ。もしワクチンウイルスが効かなかった場合お前たちもデータを消去しなければならなくなる。」
アーサーのその言葉に離れていたイングランドが震える。
「おれ、みんなのこと忘れちゃうの?やだ、やだよぅ…」
瞳にいっぱい涙をためてイングランドはガリアにしがみついた。ガリアはイングランドを抱き締めて涙声で呟く。
「俺も嫌だよ、皆を忘れるなんて」
その気持ちはイギリスもフランスも同じだった。誰も忘れたくないし、誰も壊されたくないんだ。だが、それをしたくてもする方法がない。回避する方法がわからないのだ。誰も何も言えない。慰めの言葉さえ誰も紡げなかった。
「……誰がバグを作ったか判れば……」
ボソボソとアーサーが呟いていると誰かが唸る声がする。誰の声かとみんなが部屋を見渡すが、唸り声の主はどこにも姿が見えない。
その時突然音を立てて開いた扉に全員の視線が集まった。
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