あいの歌をもう一度
16
すがりついてきた手を勢いで振り払ってしまってから後悔した。
「フラン!」
叫んだが全てが遅かった。駆け寄った先でフランシスがぐったりとしている。アーサーは青ざめた。彼の叫びを聞き付けて、菊やギルベルトが駆けつける。フランシスは何度呼んでも瞳を開けない。ギルベルトが尋ねてくる。
「お前、フランに何をした?」
研究所内の医務室。フランシスはその寝台の上で体を横たわっていた。アーサーはそっとすくようになでるようにフランシスの髪に触れた。こんな風に本物のフランシスに触れるのはいつぶりだろうか?
「フランシス…」
フランシスに緩く抱きつかれたことに驚いたアーサーは思わずフランシスを殴り飛ばしてしまった。俺の叫び声を聞き付けて駆けつけたギルベルト達がどれだけ呼んでもフランシスは目を覚まさなかった。慌てて医務室に運び込んだら診断は脳震盪。何したんですか?と医師にまでジト目で見られてようやく白状したら菊とギルベルトのサラウンドで説教された。俺は二度と菊だけは怒らせたりしないと誓うには十分な説教だった。説教がようやく終わった後、ロンドンまで行かなければならないのはわかっていたがなかなか離れられない俺を見かねて菊が代わりに出張に行ってくれた。ギルベルトはボーカロイド達の世話をしつつ菊と俺の残りの仕事を片付けている。医師は急患がでて出払いあっという間に二人きりになった。
「フラン…」
もう一度名を呼ぶ。
大好きで、優しくて暖かくて、なのに傷つけてしまった。ただどうしても最後に気持ちを伝えたいと思っただけなのに…
高校生活最後の日俺はフランシスに告白した。あいつには彼女がいる。最愛の彼女だ。美人で優しくて人気者のジャンヌ。誰が見てもお似合いのカップルで、入り込む隙間なんてなかった。それでも、俺はどんどんフランシスを好きになって、後戻りも忘れることもできなくて、きっぱり振られるためだけにあいつに告白した。その現場をジャンヌに見られていたなんて!
気が動転して思わず俺はその場を逃げ出した。すると何故かフランシスが追ってきて、ますます逃げる速さを速めた俺は校門を飛び出した。
気がついたのは背後に鳴り響くブレーキ音と悲鳴が聞こえてからだった。
迫る車を視界に入れず俺を追って飛び出したフランシスが轢かれそうになった所をジャンヌが飛び込んできた。その勢いのままフランシスを突き飛ばす。ジャンヌはフランシスをかばって亡くなった。
俺の背後で起こった一連の事の顛末を聞いたのはフランシスの記憶から最愛の彼女と俺の記憶が消去された後だった。
そんなことを望んではいなかった。彼の幸せを壊すつもりは微塵もなかった。あの時のアーサーは自分の気持ちに区切りをつけたくて……。今となってしまえば言い訳染みたことをもう一度彼は考えた。当時のフランシスの友人たちには散々責められたし、自分自身もフランシスに関わる資格はないと思っていた。いや、今だってそう思っている。けれど、アーサーは彼を諦めきれなかった。ずっといとおしくて、触れたくて、話したくて、たまらなかった。ベッドに横たわるフランシスをアーサーは見つめる。
「ごめんな」
ずっと言えなかった言葉をアーサーは呟いた。あの時、アーサーが告白なんてしなければジャンヌが亡くなることもなかった。自分があの時、フランシスから逃げなければ彼が今ベッドに横たわることもなかっただろう。全てはアーサーが臆病すぎるのがいけないのだ。臆病者の自分が過ぎる望みを抱いた結果がフランシスを傷つける。フランシスは目覚めない。まるで、アーサーを拒否しているかのように。
「……俺を許すな、フラン」
その優しさに俺はすがってしまうから。フランシスに許されたら俺はどうジャンヌに報いればいい?
「……許されたら俺は、」
お前を本当に彼女から奪い取ってしまう。囁くような呟きは沈黙の中で淡く弾けた。
「…俺は、なに?」
かけられるはずのない声にアーサーの体が震えた。
「おっまえ、起きて!?」
アーサーはちっと舌打ちして慌てて医務室を飛び出ようとしたがフランシスががっちりと腕をつかんでいて、
「離せ。」
さっきみたいな悲劇にならないようにアーサーは低く呟いた。
「いやだ。だって離したら逃げちゃうじゃん。…もう、逃げないでよ…」
強く握りしめられた腕が熱い…
「フランシス!頼むから、」
離してくれ…
そう続けようとした言葉はフランシスの声にかきけされてしまった。
「…夢を、夢を見た。あの子の夢。」
幸せそうに微笑みながら紡がれる言葉がアーサーを切り裂く。力をなくしたアーサーはずるずるとその場に座り込んだ。
「どうせ俺への恨み言だろ?」
俺は彼女にこそ断罪されなければならないのだ。アーサーがぎゅっと覚悟を決めるとフランシスはふふふ、と笑って言った。
「いいや〜どっちかっていうと、俺への恨み言、だったかな?」
「っはぁ!?お前は何も悪くない!」
「いやぁ、今までよくも忘れてくれましたね。せっかく助けたのに助けがいのない人ですね…私はまだありがとうを言われてませんよ!って…」
フランシスが彼女特有の丁寧な言葉遣いをまねる。その姿を見てあぁこいつは本当に思い出したんだな、とアーサーは目を伏せた。
「アーサーにも、」
フランシスの声で紡がれる名前。なんて愛しいのだろうか。
「アーサーにもジャンヌから伝言。」
「っえ?」
「私アーサーからもありがとうって言ってもらってません!だって…」
布団を握りしめた手が震えている。
「フランシス……」
そっとアーサーがフランシスの震える手に触れた。名前を呼ぶアーサーに反応して、小さくフランシスが笑った。
「……今さら、どの面下げてありがとうって言えばいいんだよ、ジャンヌ」
問いかけに答える鈴が鳴るような声はない。意味のない問いかけだ。だって彼女はもうここにはいない。
ジャンヌの思いがけない伝言にアーサーは目の奥が熱くなるのを感じた。
「ジャンヌはさ」
とても優しくフランシスが笑う。
「俺たちを恨むような子じゃなかったじゃない」
確かにそうだった。彼女は底抜けに優しくて、素敵な女の子だった。
「俺もジャンヌもお前を恨んでなんかいないよ」
フランシスがアーサーに笑いかける。アーサーはそんな優しい彼に大声で泣きたくなった。
「…俺が、殺したんだ。俺がジャンヌを殺して、フランシスを傷つけた。俺の自分勝手なわがままで大切だったのに傷つけた。」
フランシスは黙って俺の話を聞いてくれている。目頭がジーンと熱くなっていて顔が上げられない。
「俺がお前を好きになったからこんなことになった。皆にも散々、言われて、なのに…」
「なのに?」
「…」
言葉が詰まって出てこない。本当に泣きたい気持ちになってアーサーは膝のうえでぎゅっと手を握りしめた。
「なのに?」
フランシスがそっと握りしめた手の上から包むように握った。
フランシスの熱が手を通して伝わってくると今まで言葉が出なかったのが嘘のように、するりとほどけるように言葉が出た。
「なのに、まだ、俺はお前のことが好きなんだ。ごめん、好きになってごめん。本当に、ごめん…」
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