あいの歌をもう一度

やっぱりパン、多かったかな?
まだまだ食べようとしていたがその顔が明らかに苦しそうになっていてフランシスは無理矢理取り上げた。
「こぉら。無理しない。またいつでも作ってあげるから」
そう言うとイギリスはしゅんとしたが大人しくパンを渡した。だって全部食べたかったんだ…おいしいはわからないが舌に感じる情報からこれは栄養バランス、旨み、ともに申し分のないものだと伝えてきた。だから、全部食べたかったのに…とイギリスは思った。しかし、流石に食べ過ぎたのか体が重い。イギリスはゆっくり眠るように瞳を閉ざし後ろに倒れた。座り込んで眠ってしまったイギリスをみて小さくフランシスは笑う。
「まったく…、本当に子供みたい」
呟きながらイギリスの身体を掬い上げて、どうしようと思う。彼の寝床はまだ用意していない。フランシスは辺りを見回してちょうど良いものがないか探してみる。すると、イギリスが寝るのにちょうど良さそうなバスケットが目にはいった。元はワインを入れてあったものだが、きっと問題ないだろう。そんなことを思い、バスケットを片手に寝室まで向かう。寝室にやってくると、使ってないタオルをおろしてバスケットの中に引いた。そして、その上に眠っているイギリスをそっと横たえた。
「……うん、ちょうど良いみたい」
満足げに笑ってフランシスはイギリスの身体の上に厚手のハンカチをかけてやった。フランシスはイギリスを寝かせた後、キッチンを片付けてまた寝室に戻ってきた。もしイギリスが起きていたら紅茶を飲ませなくちゃ!と思いだしたからだ。本田は紅茶がイギリスの燃料がわりだと言っていた。飲まなくちゃダメなんじゃないのかな!?でも、フランシスがバスケットを覗くとイギリスはまだ目を閉じている。
「どうしよう、明日でもいいのかな?」
困った風に呟きながらフランシスはイギリスの名前を小さく呼んだ。
「イギリス……? 紅茶はいらないの?」
すると、ゆっくりとイギリスの瞳が開く。だが、発せられた声は眠たそうだった。
「…………のむ」
まだぼんやりとしている様子のイギリスははっきりとそう告げた。その様子に不安を覚えたものの、とりあえずフランシスは紅茶をいれることにした。
「……わかった。淹れてくるからちょっと待ってて」
「ん……、わかった」
パタパタというフランシスの足音をききながらイギリスはまた瞳を閉じた。どうしよう…しんどいのかな?でも機械にしんどいとかあるのかな?とりあえずフランシスは紅茶を入れるべくキッチンに戻る。イギリスの気だるそうな動きが気になってしょうがなかった。慣れない手つきで紅茶を入れるとフランシスはカップとソーサーがカチャカチャ音を鳴らしながら寝室に戻った。
「イギリス!ごめんね。食べさせすぎちゃった…本当にごめんなさい。」
ぐったりしたイギリスを起こすのを手伝いながらフランシスは謝った。カップはイギリスには大きすぎるためフランシスが支えて飲ませてやる。心配だった。もしイギリスに何かあってもフランシスにはどうしてやることもできない。仕方がわからない。フランシスがおろおろしているとイギリスの動きが止まった。
「まずい…」
カッとイギリスの瞳が見開かれた。
「壮絶にまずい! こんな、目の覚める味は初めてだ!」
元気に憤慨する彼は小さな身体でフランシスを睨み付けてくる。それから大きく舌打ちする。
「茶葉を無駄にしやがって」
飛び起きた彼はそのまま怒濤の勢いでフランシスに文句を告げてくる。最初、フランシスは黙ってその文句を聞いていた。だが、黙って聞いているうちにだんだん腹が立ってきた。
「ちょっと!そ、そこまで言うことないでしょう!?」
いい加減腹が立つ苛立ちのまま叫んだ。するとイギリスは淡々と「まずいもんはまずい」と答える。
心配したのにあんまりだ !先程までの可愛らしさはどこへいったのだろう。ヤンキーのような極悪面でイギリスは続けた。
「この不味さでよく人に出せたな」
辛辣な言葉にフランシスは苛立ったまま呟く。
「あぁっ、もう。心配して損した……」
言葉に続いてため息も出てしまう。こんなことを言われるくらいなら紅茶なんか淹れるんじゃなかった。フランシスは心の底からそう思った。
「もう知らない!」
あんまりなイギリスの態度にフランシスが寝室を出ていこうとすると、「おい!」とどこか焦ったような声でイギリスが叫んだ。
でも、
「知らないんだから!」
そう言い残してフランシスはイギリスを置き去りにして寝室を出ていってしまった。慌てて追いかけようとしたが、イギリスの小さな身体ではバスケットから出るのも一苦労だ。フランシスに少し言い過ぎてしまった。今更ながらにそんな後悔をするイギリスだった。もしかしたらフランシスはほとんど紅茶を淹れたことがないのかもしれない。それでもイギリスを心配して紅茶をわざわざ淹れてくれたのかも。そんなことを思うと自分がとても思いやりに欠けているような気がした。やっとのことでバスケットから這い出ると次は寝室の扉までの長い道のりがまっている。もっと身体が大きければ簡単に追いかけられたのに。そんな気持ちがイギリスの心を支配した。
フランシスはリビングに戻りポットの残りを紅茶を飲んでみる。これはまずいのだろうか…正直あんまり普段飲まないからわからない。フランシスはため息をついてイギリスのことを思った。
「置いてきちゃった…」
イギリスだけではきっとバスケットから出るだけで大変なはずだ。
「イギリスのばか…」
やっとたどり着いた寝室の扉のノブは、遥か向こうにあるように見えた。扉はつかめそうなところはなく、壁を登るのは難しそうだ。もう少し自分の身体が大きければ、簡単にこの扉を開けられるのに。そんなことを思うと悔しくてたまらない。なぜ、自分は機械なのだろう。なぜ、自分を人間と同じ大きさに作らなかったんだ。苛立ちから、イギリスは大きく舌打ちをした。
一方フランスはリビングのソファで膝をかかえてどうしようかと考えていた。お風呂にも入った。後はもう寝るだけだ。当然寝室に行かなければならない。もう、いっそのことここで寝よっかな…フランシスは膝を抱える力を強めた。目の前には相変わらずティーカップが置いてある。実はあれから入れ直したのだ。でも、新しく入れ直したものと古いもの、どちらがどう味が違うのか。やっぱりフランシスにはわからなかった。本田さんに電話してみよっかなぁ…既にイギリスを預かることに自信を無くしたフランシスは貰った名刺を鞄から取り出し携帯を抱える。そこに寝室とリビングを遮る扉からかりかりと何か引っ掻くような叩くような音がした。
イギリスは扉に背中を預けて考える。どうしたら隣の部屋へ行けるのだろうか?イギリスが考え込んでいるとふわっと体が宙に浮き、続いて背中に衝撃。驚いて目を見開くと扉を開けた状態のまま驚いて下を見下ろすフランシスと目があった。
「…。」
「……。」
「…だ、大丈夫?」
互いに無言の空間。先に我に戻ったのはフランシスの方だった。
「………えぇっと、頭、打たなかった?」
言うべき言葉に迷い、あげく当たり障りのないことしかフランシスは言えなかった。ころんっと床に倒れたイギリスはまだ状況がうまく理解できていないらしく、呆然とした様子でフランシスを見つめている。見つめあった双方はしばらく動けなかった。フランシスが会話の糸口を見つけ出そうと、言葉を重ねる。
「あっ、こ、紅茶、いれなおしてみたんだけど……、さ」
言い終わったあとでフランシスは少しだけ言わない方が良かったかなと後悔した。
「淹れなおしたからってさっきと同じようにしたんじゃどうせまずいままだろうが。」
自分の口の滑り具合にイギリスは自分を殴りたくなった。
フランシスの瞳が揺れる。傷つけた!
「ぁ、だからだな、」
イギリスは慌てて言葉を紡いだ。そうじゃない、傷つけたかったわけじゃない!
「ごめん。そうだよね。」
違う、違うんだ!
「不味いよね、いらないよね。」
まがい物の俺の心に嵐が吹き荒れる。留まりきらなかった激情は、出口を求めて荒れ狂う。
「ちが、違うから!ふ、フランシス!」
「ごめん。片付けてくる。」
「ま、待て!お、俺が教えてやるよ!」
気がつけばフランシスのズボンの裾にしがみついて俺は叫んでいた。
しがみつかれたと気がつくのに、数秒ほど時間が必要だった。フランシスがイギリスを見返すと彼が傷ついているように見えた。ボディに描かれているだけの眉がひそめられているようにみえる。
「おし、える?」
問い返してみた。イギリスが飲むには特別な淹れ方をしないといけなかったんだろうか。そんなことを思って見返すとイギリスは早口で告げる。
「紅茶はただ湯を注ぐだけじゃないんだ、おいしい入れ方がある!それをお前に教えてやるって言ってるんだ!」
イギリスがそうまくしたてると、フランシスはしばしきょとん、と何の話とでも言うように首をかしげた後にようやく意味を解したのか俺をじっと見た。
「教えてくれるの?イギリス。」
「お、お前が知りたいってんなら、べ、別に教えてやってもいい…」
どうしてこんな言い方しかできないんだろう。声がしぼんでいく。また怒らせるかもしれない。それが怖くてズボンを握る手にぎゅっと力をこめた。
イギリスの言葉はとても傲慢だったが、言葉とは裏腹に瞳が謝罪をのべているような気がした。こいつはまだ赤ちゃんみたいなものなのかな、とフランシスは思う。愛され方を知らず、愛し方を知らないのだ。彼を見下げながらそんなことを感じた。
「……ん、わかった。教えてね」
そう答えるとイギリスの瞳にちらりと喜びの色が窺い見れた。
フランシスは優しいな。イギリスは思った。
フランシスは優しい。
悪いのは俺なのに、上手く話せない俺なのに許してくれるらしい。まだごめんなさいって言ってないのに…いや、俺の性格上言えないんだけど、フランシスはそれを自然とくみとって優しく許してくれた。
がぜんやる気が出ると言うものだ!
「フランシス!」
イギリスは腕を上へぴんと伸ばしてフランシスに声をかけた。その姿にフランシスはイギリスの意図をくみ取りそっと抱き上げテーブルの上に立たせてやる。
「まずは、お湯を沸かさなきゃな!」
こうしてイギリスのレッスンは開始された。しかし、イギリスは鬼コーチだった。間違いがあれば厳しく非難し、正しいことをやっても嫌みを言われる。こいつを好きこのんで手にいれたいやつの気がしれない。フランシスは何度もそう思った。結局、フランシスがイギリスにオーケーを貰ったのは夜も深くなった午前二時すぎだった。差し出した紅茶に口をつけたイギリスがにやりと告げる。
「…………悪くない」
その言葉になんだか大変な同居人が増えちゃったなぁなんてフランシスは改めて思ったのだった。
それはさておき、紅茶という唯一の嗜好を除いては比較的イギリスは気の合う同居人だと言えた。仕事の間は家で大人しく留守番してくれるし、家に帰ってからも紅茶以外に関してはある程度空気も読める。
「ただいま、イギリス。」
何より、
「あぁ、おかえり」
ただいまと言っておかえりと帰ってくるのがこんなにも嬉しいなんて思わなかった。
「ところでフランシス、俺の使い方本当にわかってるか?」
唐突な申し出に間抜けな返事をしてしまった。するとイギリスは少し眉をひそめた。
「あのな、俺はボーカロイドなんだぞ」
軽く責めるように、それでいて呆れるような言葉にフランシスはくるりとテンポよく彼から視線をそらした。
「………………そもそも、ボーカロイドって何するの?」
「お前…」
イギリスは唖然とした顔でフランシスを見た。
「そういえばお前俺が来てから一度もパソコン開いてねぇよな…」
「え?だめ?だって必要ないし…」
「…。」
「…えっと、イギリス?」
この男は…
「お前、なんでも出来る男と見せかけてとんだアナログ人間だったんだな…」
イギリスのじと目が突き刺さる。
「あ、あはは、…で、ボーカロイドって?そういえばあの店のBGMでイギリス、歌ってなかった?」
自分のパソコン音痴には自覚がある。だからこそフランシスは話を変えようとしたのだが、あれ?イギリスの目線が厳しくなった?
「お前、そのレベル?」
「…はい。すいません。」
厳しい視線に思わず低姿勢になる。しかし、フランシスはでもっ、と言い訳を口にした。
「パッ、パソコン使えなくても生きていけるよ」
「現代人の発言じゃねぇ」
すっぱりと告げられた言葉に、フランシスは声につまる。
「だいたい、現代人ならパソコン使えなきゃ仕事も満足にとれないだろ」
呆れたような声にフランシスはなにも言えない。実際、それで面接で落とされたことがある。あれは苦い思い出だ。
「い、今の仕事はパソコンなんて必要ないからいいの!」
嫌な思い出を振り切って叫ぶ。
「いや、覚えろよ。」
が、呆気なくその叫びはイギリスに叩き落とされた。
「ですよね…。」
あ゛―ったくこいつ本当に現代人かよ!イギリスはあまりのフランシスのだめっぷりに苛立ちの声をあげた。とりあえず明日にでも菊に連絡して…
今のままでも十分楽しいが俺は本来歌うことが仕事なんだ!
「まず、ボーカロイドってのはなぁ…」
そして再びイギリスの授業が始まった。
「俺たちはボーカルアンドロイド。歌うロボットだ。歌うために作られたんだ。だから、歌わないと俺たちは不満を感じるんだよ」
「へー…、そうなんだ」
欲求不満みたいな感じなのかな。フランシスはなんとなくそんなことを思っていた。イギリスは言葉を続ける。
「まぁ、俺の使い方はしっかり教えてやるからな。まずパソコンはどこだよ」
部屋の中を見回すイギリスに答え、フランシスが寝室からパソコンを持ち出した。中古のノートパソコンだが、それでも結構なお値段がしたフランシスの家の中でも割りと高価な品である。
「じゃあ、とりあえず、電源いれろよ」
詳しい話はそれからだ、と告げられたが、フランシスはどうすればいいのかわからない。パソコンを開きもせず、困った顔でイギリスを見つめる。
「…………電源って、どうやっていれるの…?
「おい、!お前、これ使ったことないのかよ!?」
電源なんて開いてボタン押すだけだろうが!?唖然としてイギリスが聞くとフランシスは照れくさそうに笑う。
「買ってから一度も使ってないんだ。」
可愛くねぇよ!いや、可愛いんだけどっ!素人もいいとこじゃねぇか!
イギリスはどっと力が抜けたように突っ伏した。その横でフランシスがおろおろと崩れ落ちた俺を見ている。
「なんでそんな使わないもん持ってんだよ…いや、ここは持ってたことを奇跡としたらいいのか…?と、とにかく、まずはパソコンの使い方からだ!あと、菊に連絡出来るか?」
力なく崩れ落ちていても何も始まらない。やるべき事はたくさんあるのだ。イギリスは新たに気合いを入れ直し、目の前の機械音痴に向き合ったのだった。
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