あいの歌をもう一度
1
“彼”と出会ったきっかけは?と聞かれたら偶然だったとしか答えようがない。偶然立ち寄った大型店。ただ、新しい電球を買いに来たそこでどこからか聞こえてくる音楽。人間のようでどこか電子音の混ざる声。俺はあるコーナーの前で立ち尽くしていた。パソコンの苦手な俺が普段行くはずもないパソコンソフトの“ボーカロイド”という聞きなれぬソフトの前で。一つのソフトを手にとる。そのソフトは他の愛らしい少女達より少し大人びた、でもどこか幼いキャラクターがプリントされていた。
パッケージには大きく『イギリス』と書かれている。それが俺とイギリスの偶然でそして運命の出会いだった。
まがりなりにも現代人であるフランシスは友人たちの懇願でパソコンだけは購入していた。まぁ、とはいっても、ほとんど宝の持ち腐れ状態なのだが。ソフトのパッケージを見ながら彼は顔をしかめた。
「なーんかどっかで見たような?」
呟いて脳裏の残像を消す。どこか見覚えのあるような顔だった気がしたらよく見ても答えはでない。勘違いだったのだろう。フランシスはちらりと見えたソフトの値段にため息をついて、商品棚に戻す。あいにく、フランシスはそこまで裕福ではない。ソフト一本とこれからの食生活、どっちをとるかといわれたら当たり前に食生活をとる。フランシスはそんな人間だった。友人に勧められ、なんとなく売り場までやってきたものの、お金がないなら意味はない。さ、電球を買って帰ろう。気をとりなおしてフランシスがその場を立ち去ろうとすると知らない人から声をかけられた。
「おや、お買い上げにならないのですか…?」
後ろから掛けられた声が自分に掛けられたものだと判断するまで数秒のタイムラグを要した。
「え?…っぇ?俺ですか?」
やっと気づいて慌てて振りかえるとそこには幾分か俺より背の低い黒髪の青年が立っていた。
「お買いにならないのですか?」
その青年が綺麗な笑顔で再度尋ねてくる。それに俺は年下かな?などと考えながら返事を返した。
「え、えぇ。買いませんよ?」
もしかしたら彼が買うつもりなのかもしれない。邪魔してはいけない!とフランシスは一歩下がった。
フランシスの様子を見て、青年は少し困ったような顔をした。
「えぇと、失礼なことをお願いてもよろしいでしょうか…?」
言いながら青年は名刺を取り出して告げる。名前は本田菊で、ボーカロイドの開発チームの一員だそうだ。フランシスはそんな話をききながら何かのアンケートを頼まれるのかなと呑気に考えいた。菊は密やかな声で囁く。
「実はこの子があなたを気に入ってしまったみたいなんです」
「この子……?」
言われた言葉の意味がわからず、フランシスが首をかしげると菊は自分の胸ポケットを指差して答える。
「この子です」
もぞもぞと胸ポケットからなにかが這い出た。手のひら大の大きさで、それは確かに人の姿をしていた。
「…えっと、…なんですか?これ?」
このボーカロイドを制作したという本田は胸元から取り出したのはまるでリカちゃん人形のような小さな手の平サイズの人形で、フランシスは不思議に思い問いかけた。
「これがボーカロイドです」
にこやかに菊が答える。しかし、フランシスの頭は混乱するばかりだ。
「え、でも、」
「それは性格をインストールするソフトなんです。ボーカロイドには身体になる人形と性格をかたどるソフトウェア、それから音楽製作ソフトの三つが必要なんです」
フランシスは目眩がした。友人たちはこれらのソフトを安いと言っていたが、貧乏人のフランシスは性格をインストールするソフトすら買えそうにない。
「は、はぁ…」
適当に相づちをうってみるが正直既に本田が何を言っているのか解読不能になってきていた。自然と体が引きぎみになっているところに本田がずいっと手の平をフランシスに近づけた。手のひらでは小さなイギリスがぱっちりとした目を開いてこちらをじっと見ている。まばたきなんて必要ないのだろうが、じっと見られるとちょっと怖い…
「こ、これが歌うんですか?」
なんとか場の空気を繋ごうとフランシスは口を開いた。
すると
「これって言うな!」
とどこからか声が聞こえた。
「ひぇっ!」
慌てて辺りを見回すが誰もこちらに注目してなどいない。
「どっちみてんだよっ、ばかぁ!」
確かに子供のような声が聞こえたはずなのに。不思議に思っていると手をつねられた。
「っー!?」
「この子が喋ったんですよ」
穏やかな声にフランシスはゆっくりと自分の手のひらに視線を落とす。すると、そこには仁王立ちでこちらを睨み付けている『イギリス』のすがたがあった。
「…こ、これ喋れるんですか?」
フランシスは呆気にとられて本田の手の平に立ってる小さいモノを凝視した。
「だから!これっていうな!」
再び聞こえたその声は間違いなくこの小さな機械から聞こえたもので…
つんっ
「おわぁ!」
好奇心のままフランシスが指先でつつくところんとイギリスが手の上で転がった。
「…かわいい」
「な!何しやがる!」
よくよく見れば小さく可愛らしいフォルムである。小さく笑うと照れたのか背を向かれてしまった。にこりと綺麗に菊は微笑む。
「イギリスさんには心があるんです。ですから、他の子達より感情が豊かで可愛らしい子なんですよ」
私にとってはどの子も可愛らしいんですけどね。菊の言葉についと視線をあげると、彼が穏やかな目でこちらを見ていた。
「貴方とならイギリスさんもうまくやっていけると思うんです」
どうか、一緒に持ち帰っていただけませんか。菊はそういってフランシスに頭を下げた。
「ココロ?ボーカロイドに?」
「はい。心です。」
どういう意味だろう?機械に、ココロ?それぐらい精巧ってことかな?
「ボーカロイドたちにはそれぞれ人間の心を模した心システムを使っているんですよ。だから学習もしますし喜怒哀楽も示します。」
「本田さん、そんなもの、俺、もらえません!」
そう言った瞬間後ろを向いていたイギリスがばっと振り向いた。
「う、…」
なんだろうこの目線…どっかで見たことが、あ、道端で捨てられた仔犬って、こんな、かんじ?
「うぅ…」
「買うかどうか迷っていらしたようですし、よろしければ連れて帰ってやってください。この子が揃っていればあとは音楽制作ソフトだけで歌わせることもできますよ?」
本田はここぞとばかりに笑顔で迫ってくる。
「いや、うん、でも…」
言いよどむフランシスをすがるような視線でイギリスが見上げてくる。そういう顔に彼は弱かった。
「でっ、でも、俺はお金ないですしっ!」
フランシスはイギリスから顔をそらしてそうさけんだ。すると、菊は心配いらないというように笑う。
「大丈夫です。イギリスさんには紅茶を与えておけば大抵のことはこなしてくれますよ。お手伝いもお手のものなのです」
ね、と菊がイギリスに告げる。すると、彼は自慢げに胸を張った。
「お前がやってほしいって言うならやらなくもないんだからなっ!」
機械に紅茶?フランシスは頭を抱えた。なんなんだろう、この人たちは…
「手伝い、ですか…」
「はい。手伝いです。」
そこまで清々しい笑顔で言われると…ふと視線を手の平に移すとイギリスも得意気に胸をはって仁王立ちしてる姿がまた可愛らしい。あぁもう!どうしろっていうの?
「本当にすみません。俺パソコンとかそういうの、苦手で…」
すると菊がしゅんと沈んだ表情を作る。
「……貴方がもらってくれないとイギリスさんは廃棄処分になってしまうんですが……、苦手ならしょうがありませんね」
大きく肩を落とす彼とイギリス。その様子にフランシスの心がズキズキ傷んだ。
「……私もイギリスさんも年貢の納め時と言うことですね」
遠くを見ながら菊がそう呟き、イギリスが膝を抱えていじけはじめる。フランシスはしばらく黙っていたものの、その様子にだんだんと耐えられなくなり、思わず叫んでしまっていた。
「あの!」
「はい?」
思わず叫んだものの、うぅ…
「本当にパソコンとか苦手なんです。でも、それでもよかったら…」
「「良かったら?」」
菊の声とイギリスの声が重なる。イギリスはその手の平から身を乗り出さんばかりだが困ったように俯きながら話すフランシスの視界には入らない。
「預かります。イギリスが良かったらだけど、連れて帰ります。」
処分なんてともごもご言い訳をしつつそっとうかがうとキラキラと光る緑の瞳とぶつかった。本当に感情があるみたいだ…フランシスはその瞳にそんな事を思った。
菊がフランシスの言葉を聞いて満面の笑みでイギリスを見下げる。
「よかったですね、イギリスさん」
菊の言葉にイギリスも嬉しそうだ。では、と菊が告げる。
「大切にしてあげてくださいね」
言われながら差し出された手に答えてフランシスも手を差し出した。ひょんっとその手にイギリスが飛びうつる。
「紅茶は最高級のやつじゃないと嫌だからなっ!」
…なんかやっかいなものをもらってしまった。とほほ、と思っているフランスの横で菊とイギリスがニヤリと目をかわしていたことにフランスは気がつかなかった。
とりあえず音楽ソフトは後日に回し、フランシスはこのどこかえたいのしれないボーカロイドを連れて我が家に帰った。もちろん途中のスーパーで紅茶を買うのも忘れてはいない。もともとフランシスはコーヒー党だ。紅茶なんて滅多に飲まないため家に買い置きがない。その際、当たり前のようにティーパックを取ろうとしたらポケットから顔を出していたイギリスが文句を言った。
「ティーパック!?俺は茶葉からいれたものしか飲まないからな!」
正直なんてやっかいなものをもらってしまったんだと思った。
とりあえずティーポット自体は使ってないが家にある。イギリス指定の微妙に高めの紅茶、これでも妥協したらしい、を買い家に帰った。まずはポケットにいるイギリスを食卓の上に移してやる。フランシスはまずはイギリスを放置して買った食材を冷蔵庫に詰め始めた。すると、イギリスはいつの間にやって来たのか、冷蔵庫前にある机の上にのっていた。
「おい、お前の名前は?」
「へ?」
驚いて降りかえるとイギリスがフランシスの肩に飛び乗ってくる。先ほどから思っていたが、妙に人間らしく動くんだなと少し彼は感心した。
「俺はまだお前の名前を聞いてないぞ」
耳元で囁かれ、背筋にぞわぞわと気持ち悪さが走った。
「おい、聞いているのか」
「……お前こそ俺に名乗ってないだろ」
ちらっとイギリスのほうを見ると彼は不満げな顔をしていた。
「な、なんだよ!お前!知ってるくせにわざわざ聞くなぁ!ばかぁ!」
人に名前を聞くならまず名乗る。生意気なイギリスに対してそういじわるしてやるとイギリスは真っ赤な顔をして叫んだ。なるほど、からかわれるのは苦手、と。
「しょうがないなぁ…」わざわざため息までついて大げさにアピールしてやる。
「俺の名前はフランシス。フランシス・ボヌフォアだ。覚えたか?」
そう聞いてやると「馬鹿にすんなぁ!」とまたイギリスは真っ赤になって「俺の名前はイギリスだ!」と答えた。イギリスが一息ついて機械的な声で告げる。
「フランシス・ボヌフォワをマスターとして認識しました」
唐突な言葉にフランシスの心臓が飛び上がる。ついで、先ほどまでと同じ声色に戻ってイギリスがめんどくさそうに尋ねてきた。
「呼び方は好きに変えられるが、変えるか?」
「……いや、イギリスの好きに呼んで良いよ」
あっさりと言いながら、フランシスは食材をいれ終わった。ちょっとどきっとした。小さくて明らかに人間ではなかったけど、ものすごくなめらかに会話もできて…でも、やっぱり人間じゃなかった。
なんだろう、胸がもやもやする…
「イギリスは、イギリスって呼んでいいの?他にあだ名とかは?」
そう聞くとイギリスは少し考え込むようなそぶりん見せてふるふると首をふった。
「そっか。じゃあイギリスって呼ぶね。イギリスは紅茶以外には何か食べれるの?今から夕飯作るけど…」
見上げたフランシスの表情から自分への気遣いが感じ取れてイギリスは嬉しくなった。イギリスは前のマスターとフランシスを比べて、やはり自分の目に狂いはなかったと自身を褒め称える。フランシスは優しい。機械の自分にも人と同じように接しようとしてくれる。
「ちょっとなら食べられる。くれるってんなら貰ってやっても良いぞ」
嬉しさに任せて胸を張るとフランシスは複雑そうな顔をした。
「……なーんでいつもイギリスは偉そうなのさ」
じとりと責めるように告げられ、思わず叫ぶ。
「うっ、うるせーよ! そういうプログラムになってんだからしょうがないだろ!」
ちなみにフランシスは知らないだろうが、イギリスのうりはこのツンデレなのである。だから、どんなことを感じてもイギリスはツンデレ風にしか答えられない。そんな自分が少し、イギリスは嫌いだった。とりあえず、イギリスの消化器官がどうなっているのか気になってしょうがないけど…
「じゃあ、シチューにしよっかな…」
そう言いイギリスを見やる。スプーンとかはないけどパンを小さくちぎって浸して食べれば食べられないことも、ないよね?」
うん。そうフランシスは一人で納得して料理に没頭しはじめた。イギリスはくるくると忙しく回るフランシスを眺める。
…キレイだ。と純粋に思った。くるくるとフランシスが動くたびに揺れる金髪。トントンとリズミカルに刻まれるまな板の音と合わされた鼻唄。機械に飽きるなんて事はないが、本当に、飽きることなくイギリスはフランシスを見つめた。
フランシスはふと視線を感じて、ちらりと横目で辺りの様子をうかがってみた。すると興味深そうにイギリスが自分の行動を目で追っているのに気がついた。ガラス玉であろう瞳がキラキラと輝いているように見える。そんなことしてると猫みたい。ひっそりとそんなことを思いながら、フランシスは彼の名前を呼んだ。
「イギリスー、出来たよー」
呼ばれなくてもイギリスはずっとフランシスの事を見ていた。だから名前を呼ばれてすぐさま机の縁まで行くと、フランシスが机に料理を並べ始めた。イギリスは首が痛くなるまで上を向きながら頭上を通過する皿たちを眺めていた。においなんてわからないけど、皿から立ち上る湯気を顔にあびる。きっと俺に生身の体があったら胸いっぱいにおいしい香りをすいこめるのに…とイギリスは残念に思った。
フランシスは食器を並べ終えイスに座るとイギリスも皿の近くに寄ってきた。体いっぱいに湯気を浴びているのが可愛い。フランシスはイギリスのために味見皿にシチューを注いでおいた。予想通りイギリスのサイズにはちょうど良いようで一安心だ。
「はい。小さいスプーンはないからパンをちぎって浸して食べてね?」
パンを小さめにちぎって渡してやるとイギリスはキラキラと目を輝かせてパンを受け取った。四分の一に切った食パンはイギリスの身長よりは小さかったが、身体の半分くらいの大きさがあった。少し食べづらそうにしているので、もう少し小さく切ってやれば良かったなとフランシスは少し後悔した。イギリスが食事をしている様子はリスみたいで微笑ましい。彼の様子を見て少し和んでいるとふいに視線が上を向く。
「お前は食べないのか?」
不思議そうにこちらを見る彼に言われ、フランシスも食事を始めることにする。
「今食べるよ」
手を合わせて食事の挨拶をするとイギリスもその仕草を真似てくる。子供みたいだ。そんなことを思いながら、彼は久々に誰かと共に食事をした。