唇をそっと合わせる。それをきっかけに二人は更に距離を近づけた。深夜とはいえオルニオンの夜は深夜警備などもあり、それなりに賑やかだ。その中で一つのテントで二人。気づかれないほどの小さな衣擦れの音を立てて性急にことを進めていた。
「んっ。ゆーり…」
「ほら、フレン。」
ユーリの言葉に促されてフレンは行き場を失っていた腕をユーリの首に回した。そのまま体の下に廻されたユーリの腕がきつくフレンを抱きしめる。今からフレンが受ける衝撃を少しでも和らげてやるために強く、優しく抱きしめる。
「行くぞ。」
その言葉に身構える間もなく、下肢を割られ突き入れられた。
「っぁ、ぁあ!」
押し殺し切れなかった声が溢れてフレンは思わず自分の口を押さえた。これ以上声を漏らせば誰かに聞かれてしまうかもしれない。それは、駄目だ。
恋人なんかではない。けれど体の関係だけはある。歪で不安定な関係。それが自分達を表す言葉だと思うと、ただの幼馴染であった日々が懐かしくてたまらなくなる。
それでもこの関係を望んだのは自分で、今夜ユーリを誘ったのも自分だった。
初めて二人が関係を結んだのはまだ二人が下町で暮らしていた頃だった。そもそも下町という場所はわりとそういう部分がリベラルというか、ほうき星で手伝いしていると酔っ払いの下卑た野次に晒されることもあるし、裏路地の奥を歩いていれば妖艶なお姉さまと客、なのだろうおっさんが睦みあっていることもあるわけで。最初はわけがわからなかったことも自然と分かるようになってくる頃にはそれは未知のことに対する興味へと変わっていった。
興味は単なる興味だ。それ以上でもそれ以下でもないはずなのに、幸か不幸かユーリにもフレンにもお互いが居た。身近すぎる場所に居る異性。自然と興味は片割れに向き、二人は見よう見真似でしてしまったのだ。
それでも、それは一夜の過ちのはずだった。事実、そのすぐ後にフレンは下町を離れ、ユーリと離れた。そして騎士団で久しぶりに再会した僕達は何事もなかったかのように、いや以前の関係からはむしろマイナスなのだろう。喧嘩ばかりしてしまった。どうしても口うるさく言ってしまう自分も自分だけれど、過去のことを微塵も表さないユーリを見ているとユーリはあの夜のことなんて何とも思っていないんだということを見せ付けられているようだった。悲しかった。寂しかった。辛かった。けれど、それでも傍にいたいから、君の良き友人になれるよう。例え一生通じ合えなくても構わないと自分に誓った。
だというのになんだこの様は。
フレンは誰も居なくなったテントで気だるい体を抱えて蹲っていた。
明日はいよいよタルカロンでの最後の戦いが待っているというのに自分は夜勤に励む仲間達に隠れてこんなことに現を抜かしている。
「ユーリ…」
ついさっきまでそこにいた人の名前を呼ぶ。するとそれだけで心が温かくなる気がした。ユーリが好きだ。誰より、何より。ユーリが好き。
再び行動を共にするようになった時、日々激しさを増す戦闘、その度に昂ぶる体を宥める相手に迷いなく互いを選んだ。ユーリとしては不本意だろうがエステリーゼ様は皇族であらせられる。そう簡単に手を触れてよい方ではないし、ジュディもましてやリタもパティも年下の女の子だ。そんな子に手を出そうなどユーリはしないししようとしたら全力で殴ってでも止める。そう思えば僕という存在は何とも都合の良い存在なわけだ。
初めては互いなのだから経験の有無は瞭然だし、今更気を使う必要もない。
ユーリと触れ合うことは気持ちよくて、ユーリに抱かれている間は自分が特別なオンナノコになれた気がしていた。僕達は恋人同士じゃない。互いを静めるための対等な関係。
だから、時には僕からだって誘った。ユーリの都合だけでない、こちらの都合にだって合わせてもらう。対等な関係。ばっさり言えばセックスフレンド。
時々どうしうようもなく虚しくなった。それでも、ただの性欲処理の道具だと理解していてユーリを誘ってしまうぐらいに。
ユーリが好き。
ユーリがエステリーゼ様を愛していても。僕はただの身代わりでも。
二人が相思相愛だとしても、
あと少しだけ。あと少しだけ、ユーリと一緒に居たかった。
なんて惨めで無様なんだ。
―そして戦いが終わり、自分の惨めさが平和の名の下に晒されてしまうことになる。
戦いが終わってしまえばユーリとの縁なんて吹けば飛びそうなほど薄っぺらくなってしまった。元々激しく戦闘した後の興奮を宥めるためにしていた行為だ。戦闘が無くなってしまえば機会も失われる。分かっていた事なのにただ会うことさえなくなるのだなんて誰が想像しただろうか。
ユーリはカロル達とギルドの仕事を忙しそうに、でも楽しそうにしている。僕も僕で帝国騎士団の団長としてやらなければならない事は山のようにあった。ギルドと騎士団。いまだ水と油のように対極の組織に所属する僕らが疎遠になるのは仕方のないことだったのかもしれない。
だから僕は楽しみにしていたんだ。月に何度か行われるエステリーゼ様とのお茶会。エステリーゼ様は今でも頻繁に凛々の明星の皆と会っているらしく、お暮らしになられているハルルの町から帝都にいらっしゃる度にお茶を共にしながら皆の話をしてくださった。それが僕にとってユーリの今を知る唯一の情報源。ユーリとエステリーゼ様の睦まじい様子を聞く事は辛くもあったけれどユーリの元気そうな様子を聞けてとても幸せだった。
いつかきっと二人は結ばれるのだろう。ユーリの話をする度にはにかむように頬を染めるエステリーゼ様は本当にお可愛らしく、愛らしい。
エステリーゼ様がユーリのことを語るたびに、僕はユーリの情報を得た事で喜び、ユーリはエステリーゼ様とならどんなに忙しくてもお会いするんだなと落ち込んだ。ユーリの居ない場所でユーリを好きな女が二人。かたや勝者でかたや敗者。なんて惨めなんだろうか。
それでも、ユーリを好きでいる事だけはどうか許して欲しかった。
なのに現実はそれさえ許されない事だったらしい。
「久しぶり。一年ぶりだね、ユーリ。」
「おう、久しぶりだな騎士団長サマ?」
ハルルの町で約束のお花見をしましょう!
エステリーゼ様の発案で招待された花見にはあの日、あの時共に戦った皆が招待されていた。凛々の明星は勿論僕とヨーデル様も招待されたそれは思った以上に大規模で面食らったけれど、久しぶりの再会はとても楽しくて、久しぶりのユーリとの会話もとても楽しくて。日々の慣れない業務に鬱々としていた僕はとても浮かれていた。
その夜、今日は皆でハルルの町に一泊する。宿屋の主は恩義ある凛々の明星のためと宿屋を貸しきりにしてくれ、各々久しぶりの再会に皆で語り合っていた。フレンはふとその中でユーリとエステリーゼ様の姿がないことに気づきそっと宿を抜け出した。
外に出ればひんやりと心地よい風が吹き、ルルリエの花びらが舞い落ちる。フレンはその幻想的な光景に惹かれるがままに丘の上へと歩き出したら。
「綺麗ですね。」
「あぁ。」
「町長さんや町の皆さんも喜んでいただけて嬉しいです。」
「町長さん約束忘れてなかったんだな。」
「そうですよ!いつも花が満開になったらお花見を!ってきっと私達の誰よりも楽しみにして下さってました。」
「そっか。エステルも楽しそうだな。」
丘の上、幻想的な光を放つハルルの樹。その下で寄り添う二人があまりにも美しく
お似合いで僕は必死で逃げ出した。
一人宿屋に戻り宛がわれた部屋に逃げ込む。有難い事に一人部屋だ。そのことに感謝した。頭の中では寄り添う二人の姿が焼きついて離れない。
祝福できると思っていた。
ユーリとエステリーゼ様。エステリーゼ様は皇族だが二人は互いを思いあっているし、ヨーデル様が皇帝となられた今、エステリーゼ様を縛る鎖はもうない。だからこそ、不自由だったこれまでの分もエステリーゼ様には自由に生きて欲しかった。だから、
だからその気持ちさえ忘れずに居れば二人を祝福できると、そう思っていたのに。
僕の分からない約束。
入り込めない二人の空気。
優しげに微笑むユーリ。
あの場所にあったのは僕の知らないものばかりで…
「もう、やだっ…」
「フレン?」
耐え切れず溢した弱音に呼応するように音もなく部屋の明かりがつけられて、その気配のなさにフレンは無意識に腰の柄を握り振り向いた。
「…ゆーり。」
「おい、とりあえずその手放せ。」
驚きで固まる僕にユーリは呆れた表情で柄から手を放させた。ったくこえーよお前。なんてぼやく彼の顔をぼんやりと見ていたが余りにも見すぎたのか、今度は怪訝そうな表情でユーリの指先が頬に触れた。
「お前、泣いてんのか?」
頬を伝う濡れた感触にユーリが驚いたように言った。その言葉に慌てて頬を拭う。突然の闖入者に驚いて自分が泣いていたことをすっかり忘れてしまっていた。
というか、
「な、なんでユーリがここに!?」
「え?いや、宴会場見たらいつの間にかお前居なくなってるからここかなって思ってよ。」
「―…居なくなってたのは君のほうじゃないか。」
「俺?あぁちょっと花見にな。ってかお前ら宴会入るの早すぎんだよ。ったくどいつもこいつも花より団子ってか?っての。」
「皆久しぶりの再会だから浮かれてるんだよ。仕方ないだろう。」
―僕も含めてね。
そう自嘲しながらフレンは言葉をつむぐ。さっきまであれだけ苦しかったのにユーリが来てくれただけでこんなにもポンポンと言葉が飛び出る自分に呆れると共に嗤いたくなる。フレンはしゃがみこんだ体勢から立ち上がろうとベッドに手を付いたらその手を掬うように引っ張られてベッドに転がった。
「何話逸らしてんだよ。」
見上げるとユーリの顔が鼻先が付くほど近くにいてフレンの目が思わず泳ぐ。
「えっと、逸らしてない。何?」
「泣いてたんだろ。」
「別に。」
「嘘付くな、なんで泣いてたんだよ。」
「…別に、ユーリには関係ない。」
「……関係なくても、話せよ。」
吐息のような声で囁かれてフレンはきゅっと目を瞑った。ユーリは自分のその声にどれだけの破壊力があるのか絶対知らないに違いない。
「いや、ユーリには関係ない。」
「てめ、この強情女。」
「強情で結構です。放して!」
キッと睨みつけるとユーリは打って変わって優しい手つきで頭を撫でてきた。
「良いから、話せよ。お前溜め込むとろくな事ねーじゃん。」
―やめて。
「ほら、言ってみな?」
―やめてくれ!
「聞いてやるよ。」
―優しくしないで!!
「―…失恋したんだ。」
「―……へ?」
「最近、失恋したの。今日はその傷心旅行なんだよ。だから、」
一人にしてくれ。そう言いたかったのに続きは声にならなかった。ユーリの目が冷たく僕を見据えていたから。
「へぇ―…お忙しい騎士団長様はいつの間に恋愛に現を抜かしてたんだ?」
その言い方にカチンと来た。
「なに、それ。僕が恋愛してちゃ駄目なわけ?ただ人を好きになっただけじゃん。それの何がいけないの?」
「いや、別に。忙しい忙しいと思った騎士団長様は案外暇なんだなって思って。」
「暇じゃない!めちゃくちゃ忙しい!元老院は好き放題するし、騎士団だって一枚岩じゃない!ヨーデル様のご心痛に何の助力をしてあげる事さえできない!毎日毎日、忙しいんだから!ギルドでふらふらしてる君になんでそんなこと言われなくちゃならないの!?ユーリには関係ないじゃないか!!」
「誰が、ふらふらしてるんだよ。こちだってギルドで忙しくしてるんだ。お前みたいに恋愛でふらふらしてる程暇じゃねぇんだよ。」
「な、自分だっ!!」
激昂した僕だけどそれ以上は言葉にできなかった。
「んぅ!」
無理矢理ふさがれた口の端を零れた唾液が伝う。容赦なく口内をかき混ぜられ意識が攪拌する。
「ん、んぅ、ちょ、何すんだよ!放せ!!」
驚いて、だけど懐かしい口付けが気持ちよくて力の入りきらない腕でユーリを押し返せば、簡単にその腕は一まとめにされて頭上に縫い付けられた。
「黙れ。」
「ちょ、やっ!」
再び口内を蹂躙される。呼吸をする暇さえ与えてもらえない。散々にかき混ぜられて、酸素の足りない頭が次第にぼんやりしてくる。
ようやくユーリが唇を離したときにはすでに息も絶え絶えになっていた。
「っは、はぁ、なに、してんの。」
「別に。欲求不満の騎士団長のお相手をして差し上げようと思って。」
「だ、誰が!」
「物欲しそうな顔してるくせに何言ってんだ。」
そうやってユーリの右手は器用に鎧を取り払っていく。振りほどかなければ。そう分かっているのに腕に力が入らない。エステリーゼ様というお方がありながら、こんなこと許されることではない。彼女を裏切るようなことをユーリにさせてはいけない。
そう分かっているのに自分の体は言う事を聞こうとしない。その上ユーリに押し付けられた下半身が熱く兆していることを知ると覚えてしまった快感を求めて自然と体が揺れる。
浅ましい己にフレンは泣きたくなった。けれど、ふと思う。何もしてないのにここまで熱くなっているのは不自然ではないだろうか。もしかして、
「ユーリ、溜まってるの?」
もしかしたらの可能性にフレンがそう問いかけるとユーリはピシっとしばし固まった後に静かに息を抜いた。そのため息に呆れたような色が見え隠れするのは気のせいだろうか。
「ユーリ?」
自分の体の上で動かなくなったユーリにフレンがおそるおそる声を掛けるとユーリはゆるゆると首を振りながらそっと体の輪郭をなぞってくる。
「そう、溜まってんの。だから相手して。」
そう言われてあぁそうなんだ。じゃあ相手してあげないとと思った僕は相当重症だと思う。エステリーゼ様は純真なお方だし、あの優しい顔で微笑まれればユーリも手が出せないのだろう。ユーリだって健全な男子だしそれでは辛い事もあるんだと思う。もう終わったと思い込んでいたけれど僕ってまだユーリのセフレらしい。後々ユーリに知られればとんでもなく叱られそうなことで納得してしまったフレンはそのままユーリの背中に腕を廻した。
「いいよ。」
「へ?」
「好きにしていいよ。」
「良いのかよ。」
自分で誘ってきたくせに何動揺してるんだろうか。
「僕も失恋して凹んでるんだ。慰めてよ。」
「っ、あぁ。」
自分で自分の心をえぐって何してるんだろう。好きな人その人に気持ちのないまま抱かれて何が慰めなんだろう。それでもユーリがこうして触れてくれるなら、良いと思ってしまったのだ。
それから何度か。ユーリはふらりと窓から城の僕の自室に訪れては気まぐれに僕を抱いていった。忙しい時期は断ることもあったけれど他に断る理由もないので大抵は一晩を共に過ごした。そう言うときユーリは何も言わなかった。必要最低限の言葉だけを交わして帰っていく。相変わらず僕の情報源はエステリーゼ様とのお茶会だ。その話から察するに今もユーリとエステリーゼ様の仲は良好でこのまま行けばもうすぐ僕はお役御免になるんだと思う。それまでは、不実だけれどあともう少しだけ一緒に居られれば。それだけを思い出に生きていこうと決めていた。
―あの日が来るまでは。
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