うたわれるもの

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 照明の灯らない暗い寝室で音也と二人。一つのベッドでお互いの体温を分け合う。基礎体温の高い音也の温もりが私に伝わって二人の体温が同じになっていく瞬間がとても好きだった。音也の腕の中にいるとまるで陽だまりの中にいるように暖かくて音也という太陽に照らされて私は火照る。
 指先で、唇で、もっと深い部分で繋がりあえばトキヤの中の不安や恐怖がつかの間和らいでほっとした。
 このまま全部なくなってしまえばいい。この不安も恐怖も。―も。
 それは『私』が考えてはいけない事だった。『私』の存在意義そのものを揺るがす事だ。
 トキヤはそんな恐ろしい考えを振り払うように名前を呼んだ。
「おとや」
 トキヤはその3文字が大好きだった。大好きな文字を大切に、大切に一音ずつ発音すれば音也は嬉しそうに笑ってくれて唇にキスをくれた。
「俺、トキヤに名前を呼ばれるの一番好き。」
 その言葉にトキヤの胸は歓喜で震えた。
「私も、」
 好きです。そう伝えたいのにトキヤは何時だってここで詰まってしまう。『好き』その立った一言を言うのがトキヤはとても難しかった。
「もう、トキヤは何時になったらちゃんと言ってくれるのかな。」
分かってるからいいけど。と不貞腐れた声で音也が拗ねるものだからすみません、とトキヤは言えない代わりに少し体を伸ばして音也の瞼に口付けた。
その行為に音也は目を丸くしてトキヤのことをぎゅうぎゅうと抱きしめる。
 もう!それでごまかされてやるなんて思わないでよね!と言いつつもちゃっかりごまかされてくれる音也は本当に可愛い。
 ふふ、思わず零れた笑みに音也がより一層膨れっ面になった。その頬を指でツンツンと突けばぷはっという音也の唇から空気が零れ二人してクスクスと笑いあった。
 何て幸せなんだろう。トキヤは音也の背中に腕を回した。するとすぐに音也もトキヤの体に背を回してくれて二人の体がぴたりと密着する。そこで乾いた肌が触れ合って気持ちい、と言えればいいが二人の間にはお互いの出した体液が未だ残っていてちょっぴり不快だ。けれどそれが何より二人の愛の証だと思えばトキヤは全く気にならなかった。
 二人の距離をより一層ゼロ距離になるように近づけるとトキヤは目を閉じた。音也の腕の中は音也の匂いでいっぱいでトキヤはゆるゆると体の力を抜いていった。途端に押し寄せる睡魔にずぶずぶと沈みこむ。このまま寝てしまえばお腹を壊してしまう。後処理をきちんとしなければと思うのに明日は久しぶりのオフだと思えばまぁいっかなんてらしくないことを考えた。
 明日は久しぶりの二人そろってのオフだ。学園に居た頃はあれだけ近い距離で過ごしていたのに、晴れて二人が恋人になったのは卒業も間近な頃で、ありがたいことに卒業後、それなりに仕事やレッスンに忙しい日々を送るっていた私達はなかなか二人の時間が取れていなかった。その中での久しぶりの二人そろってのオフ。嬉しくないわけがなかった。
 普段は音也が一方的に寂しい。恋しい。とトキヤに連絡をくれるけれど私だって会いたかったし寂しかったし触れ合いたかったんです!とそれを口に出してやれば音也は泣いて喜ぶんじゃないかと思うことをされど口に出さずトキヤは心の中だけで呟いた。
 本当に本当に貴重な時間なのだ。だから少しでも音也の傍にいたかった。『私』が『私』で居られるうちに。

 ―だってカウントダウンはもう始まっていたのだから。


最近トキヤの様子がおかしい。音也がそれに気づいたのは卒業してすぐの事だった。なんだかやたらと可愛いのだ。甘えたがりというか。もうとにかく可愛い。すっごい可愛い。俺の恋人がこんなに可愛いくていいんだろうか。神様ありがとう。付き合い始めてすぐの頃はせっかく同じ部屋で暮らしているのにやれ校則だ、アイドルとしての自覚が足りないとかであんまりべたべたさせてくれなかったからこの変化は兎にも角にも大歓迎なわけだけれど。
それにしたってこの可愛さはどうしたらいいのだろう。
今もトキヤはソファに腰掛ける俺の足元でお気に入りの白いラグに直接座り込んで俺の太ももを枕にするようにもたれかかってる。正直垣間見えるうなじがチラチラと白くて色っぽくて襲いたくて仕方ないんだけれど。せっかくの二人だけの休日をヤるだけで潰してしまうのは勿体ないから。いやそれでも良いんだけど。もっと色んなことをしたくて音也はぐっと我慢した。
「音也?」
 そんなことをしている間にいつの間に終わったか二人で見ていた映画はいつの間にかエンドクレジットが流れていた。
「音也、見てました?」
「え?あ、う。」
「もう、貴方が見たいと言ったから借りてきたんでしょう?」
 呆れたような声に音也は項垂れる。そういってトキヤはクスクスと笑った。その表情にドキッとする。本当に付き合い始めてからというものトキヤの表情は本当に柔らかくなっていった。安心しきった緩んだ笑顔が嬉しくて音也の頬も思わず緩んでしまう。
 もし俺の存在がトキヤの心を溶かしたなら嬉しいなーなんて。
「何ニヤニヤしてるんですか。気持ち悪いですよ。」
 でも相変わらず時々辛辣。
「気持ち悪いって酷いよー。」
「酷くありません。全くそんな顔テレビでしたら怒りますからね。ファンの皆ががっかりします。」
「え?そんなに酷い?」
「酷いです。」
 きっぱりと断言してトキヤは立ち上がった。そのままローテーブルに置いていたカップを持ってスタスタと台所に向かう。
「今日は何が食べたいですか?」
 こうして二人が揃った時。トキヤはよく手料理を振舞ってくれた。トキヤの料理はお店の味とはちょっと違って塩分控えめであっさりした味付けだけど、なんと言うか家庭の味ってこういう感じなのかなと音也は思う。大好きだ。
「んーっとカレー食べたい!」
「却下です。そうですね今日は暑いですし冷やし中華でもしましょうか。」
「却下はやっ、でもひやし中華も大好きだよ!」
「当たり前です。私が作るんですからね。というかカレーは一昨日作ってあげたでしょう。」
「えへへ。だってカレー好きなんだもん。」
 テキパキと食材を切っていくトキヤに纏わりつきながら時々手伝いながら二人で(というとおこがましいぐらい何にもしてないけど)昼食を作る。
「いただきま〜す!」
「いただきます。」
 ツルツルっと麺を吸い上げればあっさりしたトキヤお手製のめんつゆが麺とよく絡んでいて口の中でハーモニーを作り出す。
「おいしい!」
 トマトにレタス。乗っている食材はごくごくあっさりしたサラダ調のものでトキヤはそれだけだけど音也の分にだけ大きくスライスしたチャーシューが乗っている。
「トキヤ、おいしいよ!」
「当然です。私が作ったんですからね。」
 ちょっと得意げな表情で作る前と同じセリフでトキヤが笑う。
「俺トキヤの料理大好き!」
「褒めても何も出しませんよ。」
「いいの!本当の気持ちだから。言いたいの!」
 そう言うとトキヤはほんの少し目を丸くしてふわりと微笑んでくれる。
「ありがとうございます。」
 こちらこそ、ごちそうさまです!

 二人で昼食を終えたら今日は二人で外出することになった。本当はあんまりいけないんだろうけど、いちゃいちゃさえしなければ俺達って『普通に仲良しの友達が遊んでる』だけなんだよね。特に俺達が学園の寮で同室だったことは全部バラエティのトークとかで話している事だし。男同士ということをトキヤはとても気にしていたけれどこういう時って本当便利だと思うんだよね。世間的にマイノリティであるというだけで男女であれば勘ぐられる事をしても人は疑わない。

 いつものショッピングモールに二人で出かける。もちろんスクープとかとは別問題にそれなりに顔の売れてる二人で行動するわけで、ファンにばれたら俺も、それよりも主にHAYATOでも会ったトキヤは騒ぎになること間違いなしだから深く帽子を被ってちょっとした変装に眼鏡を掛ける。
 この二人の『変装スタイル』に関しては全面的に翔のプロデュースだ。

 初めてデビュー後に同期同士そろって遊びに出かけた時に、皆それぞれ変装というかそれなりにパッと見では分からないようにしていたんだけれどその姿に及第点をもらえたのはレンだけで。全く変装なんて考えていない那月を覗けば音也も真斗もそういった変装に慣れているはずのトキヤも、ダサい!と徹底指導されたのは記憶に新しい。
 おかげで変装しつつそれなりに街中に溶け込めるスタイルを覚えた俺達はもっぱら二人で出かける時はこの格好だ。

「ねぇ見て?」
 ショーウィンドウを指差せばその先にはトキヤがHAYATOとして専属モデルを勤めていたブランドのショップがあった。指の先ではHAYATOを引退したと同時に契約は切れたのに今もPOPの中でHAYATOが商品を見につけて笑っていた。
 その指の先を見てトキヤは少しだけ寂しそうにでも嬉しそうに笑った。
「まだ、使っていてくださったのですね。」
 その声はHAYATOを厭いながらも慈しんできたトキヤそのもののような優しい声で思わず音也はトキヤを抱きしめたくなった。人前、人前と心の中でその衝動を押し殺しているとクイっとトキヤが音也の服の袖を握り締めて引っ張ってくる。その顔を見ればまるで悪戯っ子のような表情で、その表情に音也の胸はドクリと高鳴る。
 もう!せっかく人が我慢しているのに!結局その表情に音也はまた一つトキヤに恋をするのだ。
 トキヤは音也と二人で店内に入った。
 店内は男性用のアクセサリーを取り扱うブランドでシルバー調の指輪やネックレスがずらりと並んでいた。その値段を見れば少しは収入の入るようになった音也でもウッ可愛くないと思える値段で音也は一瞬躊躇した。トキヤはそんなことお構いなしでまっすぐ今年の新作と銘打たれたコーナーに足を向けている。
 店員はいらっしゃいませと声を掛けただけで余り買い物中に話しかけられることを好まない男性客を考慮してかこちらにしっかり意識を向けつつもすぐに話しかけずに適度な距離を保っていた。
「ねぇ、気に入ったの?」
 名前を出せばもしかしたらばれてしまうかもしれないから外に居るときはなるべく名前で呼ばないようにしていた。
 ディスプレイを眺めるトキヤの横に並んで声を掛けると、トキヤは「えぇ」とだけ返事をくれた。
「何?どれ?」
 気になって聞いてみるとトキヤはようやくディスプレイから視線を上げ音也の顔を見た。
「秘密です。」
「何それー」
 音也が不満を口に零せばトキヤは我関せずと言った様子でスタスタとお店を出てしまった。慌ててトキヤを追いかけると店の外で待ってくれていたトキヤにすぐに追いついた。また二人してぶらぶらとショッピングモールを歩き出す。
「何で秘密なの?」
「何でもです。」
「だって気になるじゃん。」
「気にしなくて結構ですよ。」
 最初は気になってぶぅぶぅ言っていたけれどその後ゲーセンに立ち寄って二人で太鼓の達人で得点を競ってみたり、お気に入りのショップで二人でああでもないこうでもないと翔の指導を思い出しながら服を買ったり。あんまりにも楽しかったからすぐに気にならなくなった。
 夕飯は食べて帰りましょう?
 トキヤの提案にその日の夕食は外食となった。常にカロリーと栄養バランスを気にするトキヤにしては珍しい台詞に思わず「良いの!?」と聞き返してしまったらトキヤはちょっぴり不満気な顔で嫌なら帰りますなんて言うものだから嫌なんてそんなことあるはずもないよ!ってブンブン首を振ってくらくらしてしまった。
 二人でレストラン街に入ると和食に洋食、中華までなんでも揃ってそうなラインナップに音也の心が躍った。普段友達と出かけるときなんてファーストフードか牛丼屋、あとはファミレス。ちょっと背伸びしたってカフェぐらいであんまりこういったレストランという雰囲気の店に入った事がない。
 よく、小・中の頃は親と一緒に外食に言ったとか色々聞いていて憧れていた場所でもある。
「ちょっとドキドキする。俺こういう店はじめて」
 数ある店の中でもワンランク敷居の高そうなイタリアンの店をトキヤが選び店内に入るときにトキヤの耳元でこっそり告げると、トキヤは少し薄暗い店内で誰にも見えないようこっそりと俺の手を握ってくれた。
 何も言わない。だからこそ手の温もりから『大丈夫です。』とトキヤの声ならぬ声が伝わってきて俺もぎゅっとトキヤの手を握る。するりと席に着くなり離れてしまった手が恋しかったけれど俺はもう不安にはならなかった。
 主にトキヤが選んでくれたメニューに二人して舌鼓を打つ。
 外国語のメニューをスラスラと注文するトキヤはかっこよくてちょっと悔しい。けれどトキヤの選んでくれた料理はどれもおいしかった。
「こういう店よく来るの?」
 一通りの食事を終えて食後のコーヒーと共にまったりとした時間を過ごす。音也の質問に少し考えたトキヤは少し躊躇ってうなずいた。
「そうですね。あの業界に居ると打ち上げなどでこういった店を使用する事もありましたから。」
 だから音也も知っておいて損はありませんよ。そういって微笑むトキヤは芸能界で言えば大先輩なわけで。『大人』な回答に彼氏としてはかっこ悪く思えて音也はむっとなった。
「こんな所自分で来る機会なんてあんまりないし。」
「そんなのレンに奢らせてやりなさい。」
 間髪入れずに帰ってきた答えに音也は噴き出した。
「レンに?」
「そうですよ、こういう店無駄に知ってますし、慣れてますからね。」
「無理無理、俺が女の子じゃない限りレンは奢ってくれないよ。」
 その答えにそうですか?といいながら二人でクスクス笑った。
「あ、でもマサなら奢ってくれそう。そんなこと言わないけど。」
「そうですね。でもレストランじゃなくて料亭とかになりそうですよね。」
 ひとしきり自分のクラスの御曹司達の話題で盛り上がる。
 ふと落ちる沈黙。会話のない時の流れにゆったりと身を寄せる。以前はこういった間が苦手だった。静かにしているとそれだけで不安になった。自分はここに居てもいいのかな?面白くなかったかな?いらないって言われないかな?常に人の顔色を伺って、自分がちゃんとここに居ても良いのか。必要とされているのかを気にし続けていた。でなければ自分の存在意義を見出せなかった。
 でも今は違う。
 音也はトキヤと恋人になって『会話が無くても安心出来る』という言葉の意味をしった。
 それって凄い事だと思う。だって傍に居るだけで通じ合えるってこと。受け入れてもらえてるってこと。
 薄暗い照明の中で変装をしていてもトキヤは輝いていた。

 俺の恋人。幸せな一日。トキヤの傍に居てもいいと無条件で思えること。

「幸せすぎて、俺、困るよ。」
 ポツリと泣き言を漏らせばトキヤは一瞬だけ苦しそうな顔をして「それは私の台詞です。」と言った。

 本当はその時、その台詞の意味をきちんと考えるべきだったんだ。

 最愛の恋人。トキヤが倒れたと聞いたのはそれから半年後のもうすぐ付き合い始めて1年を迎える頃だった。
 知らせを受けて収録が終わると同時にスタジオを飛び出して病院までの道をひた走る。
 だからあれほど言ったのに!!

 最近トキヤの様子がおかしかった。時々辛そうにこめかみを抑えたかと思うとぐらりと眩暈を起こしたりしんどそうにソファに横たわることが多々あった。俺は心配で心配で強く病院へ行く事を勧めたけれど大丈夫の一点張り。業を煮やした俺は次のオフの時に無理やりでも病院に連れて行こうと思っていた矢先の出来事だった。
 ―トキヤっ!
 どうか無事で居て欲しい。病院なんていい思い出なんて一つもない。こみ上げる不安に泣いてしまいたくなる。かろうじて掴んできた鞄の中で一周年の記念日に渡すはずのプレゼントがカラカラと音を立てる。
 どうか、どうか。大したことはないとこの不安を吹き飛ばして。その優しい笑顔で笑いかけて。その愛しい声で名前を呼んで。
 恐怖と不安でぐちゃぐちゃにこんがらがった心に押しつぶされそうになりながら辿り着いた病室には先に知らせを受けて到着していた七海がいた。
「トキヤ!!七海、トキヤは!?」
「一十木くん!」
 七海に聞いておきながらも答えは求めてなかった。まっすぐベッドに視線をめぐらせればトキヤは起き上がっていて、音也の中で半分ほど不安が薄れた。
「トキヤ!!」
 名前を呼んで駆け寄る。顔色は悪かったけれどそこまで酷いわけではない。七海がいるとは分かっていても音也は止められずにトキヤの頬に触れた。額にこめかみに頬に、指を滑らせてトキヤの無事を確かめる。
「音也、くん。」
 その行為を止めるようにトキヤの手が俺の手を掴んだ。
「え?」
「はじめまして、音也くん。」
 トキヤの声が、トキヤの声なのに。何を言っているのかわからなかった。
「一十木くん。」
 七海の心配そうな声も耳に入らない。今、トキヤは何ていった。
「トキヤは死んだよ。
 僕はトキヤじゃない。
 僕の名前は一ノ瀬時矢、トキヤの主人格、です。」


 神様。これが夢だというなら今すぐ覚めて…



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