「とーきやっ、こっち向いて。」
珍しくHAYATOの収録も何もなく、充実した授業と満足の行く自己練習の時間に意気揚々と帰宅してしばらく。
最近忙しくて読みかけのまま放置していた本を読みながら、こちらも珍しくバイトがあったのだろうトキヤよりも大分遅い時間に帰ってきた音也の「ただいま〜」という声に振り返る事も無く「おかえりなさい」と返した。
「トキヤ!!早いね、今日バイトなかったの?」
「なかったらいけないですか?」
「そんなことあるわけないよ!!すっごい嬉しい。」
その声が余りにも分かりやすく喜色を浮かべているものだから何だか恥ずかしくなる。いつもいつも、この男は。
「何故私が部屋に居る事で貴方が嬉しくなるのですか。」
「だって一緒に居られるでしょ?」
それだけで嬉しいと、その言葉にトキヤの心はほんわりと高鳴ったけどそれを素直に表現できるトキヤではない。
「そうですか。ですが部屋に居るからといって貴方の相手はしませんよ。読書の邪魔です。」
そう言ってまた机に向かい、また一つページを捲る。珍しくボイスコントロールの本でも教本でもない、ミステリー仕立ての小説はヒロインがいよいよクライマックスに向けて物語にちらばめられた謎解きを始めたところだった。
少しずつ読み進めては気づかされた謎に該当ページに戻って確かめてを繰り返す。
いつの間にか夢中になっていたトキヤは音也が背後でごそごそとしていることに気づかなかった。
だから。
こっちを向いて。といつもなら「うるさいですよ。」と無視するような音也の呼びかけに反射的に振り返ったのはただの偶然。ただの気まぐれだ。
振り向いて瞬間、強烈な光が眼を差した。余りにも眩しくて思わず眼を瞑る。
「ご、ごめん!トキヤ、大丈夫?ほんとゴメン!フラッシュ焚いちゃった。」
ぎゅっと瞑ったままの瞼を徐々に開く。ゆっくりと色を取り戻す視界の先では音也が済まなさそうな顔でこちらを見ていた。
写真を撮られた。そう気づいたときには既に自分の中の何かがプツリと切れた後だった。
「おとや、貴方ね、もし失明でもしたらどうしてくれるんですか!?だいたいいきなり何なのです!」
「ご、ごめん。カメラ買ってきたからトキヤを撮りたくて。」
「どうしてカメラを買ってきた=私を撮りたいという式になるのかさっぱりわかりません。というか勝手に取るのは止めてください。」
「えー。」
「えー、じゃありません。大体何なんですか、それは。」
音也の握るそれを指差すと音也は不思議そうな顔で「これ?」と聞いた。
「使い捨てカメラなんて久しぶりみ見ましたよ。それではデータを消せとも言えないじゃないですか。」
キリキリキリとあの独特な音を立てて音也がフィルムを回す。その手には数年前までよく見た大手メーカーの緑色の使い捨てカメラが握られていた。
「えー。だってデジカメって高いし。」
ダメかな?と音也が手の中のカメラを弄り回す。
「いえ、ダメとは言いませんが。」
「ね、トキヤ。」
「はい?っ」
カシャリ。聞きなれた、それよりも明らかに安物と分かるシャッター音が二人きりの部屋に鳴り響く。
今度はフラッシュは焚かれなかった。
「引っ掛かったー」
「…。」
「―すいませんでした。」
無言でこのやり場のない苛立ちをぶつけていると音也が素直に謝ってきた。
絶対口だけで反省していない、と今までの経験上からすぐに分かるがここで更に怒ってもトキヤの体力が消費されるだけでこの男には何の意味もないのだ。
落ち着きなさい私。無駄な体力は使わないに限ります。
「音也。」
「…はい。」
「二度と、二度と勝手に写真を撮らないで下さいね。」
「…えー」
「お、と、や。」
「う、何で?トキヤカメラ嫌いなの?」
「いえ、そういう訳ではありませんが。」
「ならいいじゃん。」
「ふ、不意打ちで撮られたら変な顔をしているかもしれないではありませんか。」
「…トキヤって変なところカッコつけだよね。」
音也の言葉に納得がいかない。実際問題は色々あったのだ。HAYATOの写真を撮りたがるのは何もカメラマン達だけではない。街行くファン、挙句は共演者たちまで不意打ちの写真はもはや隠し撮りの領域に達していたがそんなものが生写真というブランドを付けて市場に出回る。
けれどそんなことを音也に言う訳には行かない。
「音也、返事は『はい』と一言で良いんですよ?」
「―はい。」
ちぇ、トキヤのいじわるーと音也の拗ねる声が聞こえるが何も聞いていないことにする。読み終わった本を本棚に戻す。綺麗に並べられた本の背を撫でていると思い出したことがあった。
「ねぇ、トキヤ聞いてる?ねぇってばー」
音也の声が部屋に響くが今度は故意ではなく本当にトキヤの耳には聞こえていなかった。
綺麗に並べられた棚の一番下。収納ボックスに纏められえた荷物を探る。
「トキヤ?」
「ねぇ、トキヤ何してるの?」
「…トキヤってばぁー」
「あ、え?…お、音也!近いです!」
気がつけば背中にもたれかかるようにして肩越しに手元を覗かれていた。思わず手の中のものを取り落としそうになるのを必死に堪える。
「何それ。」
「は、放れなさい!」
「はいはい。で、何それ?」
ほんの少しだけ距離を置いた音也にトキヤは更に距離をとるために一歩下がった。少し熱を持った頬を少しでも隠したくて顔を俯かせる。この距離を詰められたくなくてトキヤは手にしていた小包を音也に押し付けた。
「何?これ。」
「差し上げます。」
「え?」
「以前バイト先の、懸賞で当たったんです。貰って以来開けてもいなかったのですが、宜しければどうぞ。」
「どうぞ、って…これデジカメだ!」
「少し古い型になるのですが十分使えると思います。」
「え!?こんな高いのダメだよ!」
その反応にトキヤはおやっと思った。音也ならもっと喜んでくれると思ったのに、けれど金銭感覚としては正しいその反応にトキヤは苦笑した。非常識非常識と常は言っているがこんな時はしっかり常識人な音也がとても好ましい。
「別に私がお金を出したわけではありません。むしろ使わずにしまっておくくらいならば使ってくれる人の下に行く事のほうがこのカメラにとっては幸せでしょう。」
いらないなら別に良いですけど、とそう零すと音也はぷるぷると赤い髪を散らしながら首を振った。
「トキヤ!ありがとう!!」
「お、音也!放れなさい!!」
本日二度目のトキヤの叫びが部屋に響く。
「で、何なのですか。」
箱を開けて中身を取り出す。偶然か中に入っていたデジタルカメラは音也に似合いの赤色だった。二人して説明書を覗き込みながらああでもないこうでもないとカメラの設定を行っていく。
ようやくいざカメラの準備が整った音也がいそいそとカメラを握り締めたままトキヤの前に正座した。
「トキヤを撮りたいんだ。」
「―なぜですか。」
「トキヤのくれたカメラだから。大切なこのカメラの最初の一枚はトキヤがいい。」
「は、恥ずかしいことを言わないでください!」
「え?そうかな?」
「も、もうこんな時間ですね。明日も早いのですから早く寝なければ。」
「え!?ちょっと待ってよ!」
「待ちません。」
「ちょっと待ってってばー」
―すったもんだの末にたった一枚許した写真。カメラにメモリーカードを入れ忘れた事に音也が叫ぶのはほんの少し後の話。
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