天鎖残月が涙を流した理由は考えなくてもすぐにわかった。
身の内にある刃からその答えが伝わってきたからだ。
不思議と恐怖はなかった。
親父を抱えて断界を出たときも、タツキ達の命が藍染によって脅かされようとしていたことも、敵だったはずの市丸ギンが倒れていることも、何も怖くなかった。
今の自分なら大丈夫だと理解していたからだ。
『最後の月牙天衝』。
新たに手に入れた力。皆を護るための力だ。
家族を護りたい。友達を護りたい。仲間を護りたい。大切な人たちを、一人として取りこぼすことなく、護りたいと願ったそのための力だ。
恐怖はなかった。
だってこれは俺の望みだからだ。俺が願い、そして手に入れた力だからだ。
例えその代償が死神としての力全てを失うことだとしても、今、この瞬間にある、護りたいというこの気持ちに勝るものはないからだ。
事実、藍染を前にしても、不自然なまでに俺の心は凪いでいた。
剣を揮う。一太刀、一太刀に力をこめて。俺の剣は護るための剣だ。
藍染と刀を合わせる。痛かった。体ではない。心が、だ。藍染の刀から感じるのは痛いほどの『孤独』。強すぎる力が魅せたたった一席の高み。
同情はする。だが、いやだからこそ手加減なんてしない。藍染を超えたその力で叩き斬る。それが俺のすべきことだと思った。最後の最期、叫ぶ藍染から視線を逸らしたのは己の弱さだったのだと思う。
「…く…、黒崎くん…?」
自分を呼ぶ声で我に返った。振り返れば満身創痍な仲間達。誰一人欠けることなく帰ってこれた。その時襲った激痛にあぁこれが最期だと痛みに悲鳴を上げる意識の端でそう思った。
悲しい時にはいつだって雨が降っていた。
雨の夢を見ていた。
夢の中の俺はまだ9歳のガキで、降りしきる雨の中母ちゃんの亡骸を抱いて叫んでいた。今なら知っている。どんなに呼んでも、どんなに訴えても母の魂はそこにはないことを。
そう思った瞬間、俺は15歳の俺になっていた。俺は雨の中虚と対峙していた。母ちゃんを殺した虚だ。俺は6年前の真実を知り、ルキアがとめるのも聞かず我武者羅に剣を振った。今見ればあまりにも稚拙な剣だ。それでもその時の俺にはそれが精一杯だった。俺は勝てなかった。ルキアは俺の勝ちだと言ってくれたけど俺にとっては負けだった。だって俺はアイツを倒してねぇんだ。悔しくて、苦しくて、それでも以前より心は軽かった。
あの時とは違う。自分には戦うための力がある。そして、ルキア…
出会いは唐突だった。突然部屋の中に現れて意味分からねぇことを言いやがって。初めてあったのに俺のために、俺の家族のためにその身を投げ出した変なやつ。
いきなり俺の部屋に住み着いて、学校にまで現れて。俺の生活を散々に引っ掻き回す。初めて会った人間を護るために自分の力を渡し、誰かが危ないときは自分のことなんて二の次三の次で護ろうとする。
死神のくせに妙に危なっかしくて目が離せやしない。
それでも、ルキアの他者を護るというそのゆるぎない意思は俺にはあまりにも眩しくてルキアが誰かを守るなら俺はその護りたいやつごとコイツを護るとそう決めたんだ。
でも、また護られた。
白哉の剣の前に俺はあまりにも無力で、勝てないことはわかっていた。それでも尚諦めきれずに追いすがる俺の腕を小さな足が蹴り飛ばした。震える手のひらを握り締めて。零れ落ちそうな涙を流すまいと唇をかみ締める。その姿が消える瞬間までその瞳に宿していたのは俺への心配。
完敗だった。恋次の言葉から自分が戻ったら処刑されることは解っていたはずだ。それでも、そんなルキアにまだ心配をさせる自分のふがいなさが悔しくて悔しくて堪らなかった。
俺は弱い。
だから強くなった。ルキアを護れるように。ルキアを救えるように、ルキアと手伝ってくれた皆、全員を無事に連れて帰って来れるように。
一つのものを護り抜く力を手に入れた。
目を覚ますとそこには仲間がいた。
―井上、石田、チャド、…ルキア
俺はいつの間にか家に居て一月も眠っていたらしい。いつの間にか過ぎ去った時間に驚いた。そして気づく。俺は今ルキアと話が出来ている。
「! そうだ!俺のチカラは…」
「…一護」
驚くことはない。ルキアの口から語られた事実は俺の予測の範疇だった。
1月、いや虚夜宮に行っていた間を含めたらそれ以上ぶりの空座町はあまりにも変わりなく、そして変わり果てていた。
霊の気配を感じない。あれだけ騒がしいくらい何かが居たはずの世界が静まり返っている。それはあまりにも不自然で、当たり前のはずの日常だった。
視線を巡らせばまだそこにルキアがいた。未だルキアが居てくれた。
「―お別れだ。一護。」
「……そうみてぇだな」
それももうあとわずか。ルキアの足元から徐々にルキアの気配が薄れていく。初めてあった時はこんな別れなんて想像もしていなかった。たとえ今までの出会いから全ての出来事が藍染の手のひらの上だったとして、俺が感じ築き上げてきたものは確かにそこに存在した。俺とルキアの間に。
何を言えばいいのだろうか。これが本当に最期なのだから。もう二度と俺にルキアは見えない。ルキアには解っていたとしても、俺はもうルキアに触れることも、話すことも、見ることもできない。
あの時、恐怖はなかった。そんなの嘘だ。一欠の恐怖でさえ感じてしまえば俺は戦うことなんてできない。そう解っていたから押し殺していただけだ。あの時ごまかし逃げ続けていた答えが今目の前に押し寄せてくる。
―るきあ、ルキア、ルキアっ、ルキア!!
喚く心を押し殺して平静を保つ。
いつも通りを演じながら俺たちは一歩ずつ近づいた。そして、―
今俺はどんな表情をしているのだろう。自分では解らない。ただ俺を見上げたルキアの顔を見て、あぁ。どうせ俺も同じ顔をしてるんだろうなとそう思った。
「じゃあな、ルキア。」
あぁ、もう会えぬ人よ。
「ありがとう」
この想いは届いていますか?
目の前から気配が消え去った。もう俺にはルキアが本当に今もそこにいるのか、それとも既に去ってしまったかも解らない。思わずさ迷う視線を叱咤するように空を見上げた。
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