唇にそっと柔らかい感触が触れてフランシスは俯いていた視線を上げた。
「っ…」
「さよならや。」
あまりにも、あまりのも優しい表情で、優しい瞳をしているものだから思わず吸い込まれるように見蕩れそうになるのを再び俯くことでぐっと堪えた。
そんな優しい表情で見ないでよ。そんな優しい瞳で見ないでよ。
「…フラン」
何も言えず俯く俺を包むような優しい声。そして宥めるようにそっと頬に触れる指先さえ優しくて。
別れるくせに。
置いてくくせに。
独りにするくせに。
「好きやで。…堪忍な。」
そんな悲しい声で、そんな何かに耐えるような声で優しく、優しく説かれたらもう何も言えないじゃないか。
「トーニョ…。」
別れはいつだって辛く悲しい。
―好きだった人がいました。
「フランシス。」
名を呼ばれてフランシスははっと視線を上げた。どうやらぼーっとしてしまったようだ。視線の先にはトーニョと同じだけどトーニョより少し明るい新緑の若葉の瞳が訝しげにこちらを見ていた。
「アート、ごめん。なんかぼーっとしてた。」
「ふんっ。お前がぼけてるのなんていつものことだけどな!」
「ちょ、お兄さんはボケてなんかいません!」
フランシスが憤慨するとそれさえもいつものことだと慣れた仕草でポンポンと答えが返ってくる。
今の恋人は生まれたときからの幼馴染だ。
まさかこいつとこんな関係になるなんて思ってなかったなー…
生まれた時から知っている。小さい頃どんなだったか。その生活環境も何もかも。仲が良いとはいえなくて、お互いの嫌だってたくさん知っている。何よりもアーサーにはその童顔のせいで小さい頃の印象が強いのだ。そんなアーサーに自分が欲情できる気がしなかった。 …んだけど。
「あっ」
「気持ちいい?」
「う、うるせーよ!」
「ったく素直じゃないんだから。」
素直じゃないけれど一つ一つの愛撫に反応するアーサーを愛しいと思う。最初アーサーに告白されたときは何の冗談なのかと思ったが、試しにヤッて見たら身体の相性は抜群だった(これ重要だ)。何より、ずっと色々と傷ついたアーサーを知っていて大切に守ってやりたいと思う相手だ。
「ねぇアート、もうちょっと啼いて?」
「ば、へ、変なこと言うな!」
ね?可愛いでしょ?
その日も二人で久しぶりに休みを合わせて休日の街を歩いていた。クリスマスセールも一段落が着いているせいかピーク時よりも混雑はマシだがそれでも尚観光客も含め多くの人でひしめき合っている。
「すごい人だねぇ。」
「てめぇが買い物行きたいって言ったんだろうが。」
「別に文句言ったんじゃないって。ただの感想。それにまだまだ買い物は終わってないんだからね?」
まぁ買い物にかこつけて長期休暇の間引きこもりがちなアーサーを引っ張り出したいというのが本音だ。
「ほら、次の店はあっち。あの青い屋根の店ね?」
そう言ってアーサーを引っ張っていったのはお気に入りの蜂蜜専門店だ。レトロな雰囲気を活かして作られたその店はいかにもアーサーなら気に入りそうだと前々から思っていたのだ。そして壁一面にびっしりと並べられた蜂蜜の瓶に案の定アーサーは感嘆のため息をついた。
「すげーな…」
「でしょ?最初は人に紹介してもらったんだけど、この店の雰囲気も品揃えもお気に入りなんだよね。」
「やぁ、いらっしゃい。」
「こんにちは。」
「久しぶりだな。お気に入りの養蜂場から商品を入荷しているよ。お連れ様もいらっしゃい。ゆっくり見ていってくれ。好きにテスターを試してくれて構わんよ。」
店主が店の奥に戻り、フランシスはお勧めの蜂蜜をアーサーに賞味させていると再び店の扉が開いた。
「フラン?」
「…トーニョ?」
少し日焼けしただろうか。相変わらずくるくるした紙と記憶よりもっと鮮やかな緑の瞳。変わらない、けれど確かに5年の月日がそこにあった。
「フランやん!久しぶりやなぁ!!」
「トーニョ、久しぶりだね。帰ってたんだ。」
「せやねん。ついこの間な。やっぱ店とか変わってんなぁー。」
「あのね。5年ぶりなんだから変わって当然。」
「せや、やったら案内してや。いつでもえーで?」
「いつでもって相変わらずだね。本当適当。ってか俺連れがいるんだけど?」
突然の登場から声を挟む暇さえ与えずフランシスと話していた男はそこでようやくアーサーの存在に気づいた。
「なんや。フランの隣の家の子やん。Hola!」
「…フランシスの彼氏だ。」
不機嫌そうなアーサーの受け答えにフランシスは天を仰ぎたくなった。アントーニョとそういう意味でお付き合いしていたのは大学時代だがそれより前の高校時代から友人として家に出入りをしていた。
だからアーサーは俺とトーニョが付き合っていたって知らないはず、だけ、ど…
「…へぇー。自分が、なぁ?」
お兄さんこの重い空気好きじゃないんだけど。
「トーニョ。悪いけど街案内は他の子を当たってくれない?」
「なんや、あかんのか?」
「うん。俺の恋人は嫉妬深いんだ。」
わざとからかうような声を滲ませてやればすぐさま誰がだ!と反射的な反論の声が上がる。それを遮るように背後からあやす様に抱きしめてやれば人前でというより根本的に人との接触に慣れていないアーサーは途端に真っ赤になって固まった。
本当可愛いんだから。
「そりゃしゃあないなぁ…。せやけどこのガキがフランと、なぁ…」
「じろじろ見てんじゃねーよ。」
ようやく固まっていたのが解けたのかアーサーも負けずと言い返すから店主も何事かと奥から出てきた。
「おやおや、お懐かしい顔ですね。フランシス様はよく見えて下さっていたのですがアントーニョ様が来てくださるのは本当にもう何年振りでしょう。昔はよくお二人で来てくださった。」
「おっちゃん、ひっさしぶりやなぁ!」
「騒がしくてすみません。あのいつものお願いします。」
「あ、おっちゃん!俺もクローバーの蜂蜜1つな!」
「はい。少々お待ちください。」
店主が商品の準備をするのと同時にようやく店内は静けさを取り戻した。静けさというより気まずい沈黙だが。
「お待たせいたしました。アントーニョ様、フランシス様、またいらしてくださいね。」
店主が気遣って声を掛けてくれるのが有難いやら申し訳ないやらで、3人揃って店を出た時にはフランシスは何だか妙に疲れていた。
「じゃあ俺達こっちだから。」
店を出てすぐにアーサーの荷物を持っていない手を引いて右に曲がる。付いてくるかなと思ったけれど案外あっさりとアントーニョはそこで分かれた。大きく手を振ってまたなと笑う姿が5年前と重なって思わず視線を反らしてしまう自分に嫌になる。
アーサーはフランシスのその姿をただじっと、何一つ見逃さぬように見ていた。
フランシスのことがずっと好きだった。
そして告白した今もフランシスが本当に意味で自分のことを好きだと思っていないことを知っている。自分はそれを利用しているのだ。
「帰るぞ。腹減った。紅茶入れる。」
「アーサー?」
今度はアーサーから離れかけた手を握り二人は歩き出した。
フランシスに初めて会った時のことなんて全く覚えてない。家が隣で兄と同い年の子どもがいて、両親共働きの家と違いフランシスの家はおばさんが専業主婦だから学校に入る年になるまでしょっちゅうフランシスの家に預けられていた。
学校に入ってからも低学年は授業が早く終わるため小学校を終えるまでのほとんどをフランシスの家で世話になった。フランシスはやな奴でしょっちゅう喧嘩をして大嫌いだった。大嫌いだったのに俺はフランシスに遊んでほしかったし、フランシスは嫌そうながらも俺と遊んでくれた。
色んなことがあって、どうしようもなくて、それでも今生きていられるのはフランシスが居てくれたからで、気が付いたら好きで好きで好きでどうしようもなくなっていた。
それでも3歳という年の差は年をとればとるほどに感じるようになった。
まだアーサーが小学生の時は良かったが、アーサーが中学に上が頃フランシスは高校で新しい友人や恋人に囲まれて、アーサーもフランシスの家に行くことが減り自然と会う回数も減っていった。それでも会えればフランシスはアーサーの相手をしてくれていたし、恋人といても友人といても無視されるようなことはなかったからどこか安心してたんだと思う。
でも、俺が高校2年でフランシスが大学2年の時、街中で何度も見たことがあるフランシスの友人とフランシスが歩いている所に出くわした。フランシスの家で何度も会ったことのある相手だ。最近はアーサーも生徒会の仕事が増えて偶然会うなんてことは滅多になかった。
だから多分俺はうかれていたのだ。
「フランシ、…」
目が合った。確かにフランシスは俺に気づいた。なのに…逸らされた?
「トーニョ!あっちに行きたい店があるんだよね!」
もう一度。もう一度、もしかしたら気づいていないかもしれないから。そう言い聞かせてもう一度声をかけようとしたがそれよりも先にフランシスはそそくさとアントーニョを連れて遠くに去ってしまった。
「フランシス…。」
追いかけることもできた。でも追いかけられなかった。だって違ったのだ。自分の知っているフランシスとは何かが違った。今までフランシスの家で話しているのを何度も見たのにその時の二人と今の二人では何か違う気がする。
不確かなただの勘だった。
でも多分正解だった。
だってフランシスが恋人として女性だけではなく男性だって大丈夫だということを知っていたから。アントーニョのフランシスを見る瞳が“男”だったから。
そして、恐怖を感じた。
デートの最中に見つけた幼馴染を思わず避けなければいけない理由。
フランシスは本気だった。これまで付き合っていたどの恋人よりも、フランシスの本気を感じた。
そこにあるのは決してアーサーには立ち入れない世界。アーサーの恐れていた世界だった。
そんな二人がどうやら別れたらしい。久しぶりにフランシスの母親に呼ばれて隣家に行ったらフランシスもそこに居た。
『今日は居るんだな。』
最近いっつもあの子外出で居ないのよ。とついさっき愚痴を聞いていた所だったのでそう聞くと、笑顔を作ろうとして、けれど途中で失敗してしまったような微妙な顔で『まぁね』なんて言うから分かってしまった。二人が別れたのだろうということ。そして恐らくはフランシスが振られた側なのだろうということ。
そして俺はその弱くなったフランシスに付け込んだ。
「フランシスが好きだ。」
巧く言葉を飾れるような性格じゃないから言いたいことだけを伝えた。静かにフランシスの動揺が伝わってくる。
「幼馴染とか兄弟とか友達とかその他大勢じゃなくてフランシスの一番になりたい。ずっと一緒にいたい。」
「お前が、俺を、すき?」
不思議そうな声で改めて言われると恥ずかしくて死にそうになったけれどぐっと堪えた。
「俺の恋人になって!」
「俺が?」
「男でもいいんだろう?それとも俺はだめなのかよ!!」
「でも…」
「俺はフランシスがいい。フランシスじゃなきゃ嫌だ!」
困らせているのは気づいた。フランシスが俺のこと好きなんかじゃないって分かってた。フランシスがまだアントーニョを好きだって知っていた。
それでもフランシスは優しくて…俺は卑怯だった。
「だから――――。」
紅茶を入れる。これだけはいくら料理上手のフランシスにだって任せられない。本当は料理だって任せてくれて構わないのに、今度はフランシスの方が料理だけは任せてたまるか!と包丁に触れることすら許してくれない。さすがに材料を切るぐらいはできるんだがそれすらもさせないてという徹底振りだ。昔みたいに台所を爆発なんてさせないのに。
「はい。」
暖めておいたテヒーカップに紅茶を注ぐとふわりと茶葉の香りが広がる。
「うん。さすがアート、いい香りだね。」
すぅっと息を吸い込むとフランシスの顔が自然と緩む。アーサーはこの瞬間が好きだ。
「当たり前だ。俺が淹れたんだからな。」
「…ねぇ、アート。さっきのだけど…」
「あぁ、アントーニョだろ?昔よくお前ん家であった。でお前の元彼。」
「…やっぱり知ってたんだ。」
「っつか気づかないと思ってたのか?」
「んー…割と。」
「何で振られたんだよお前。あいつ未練たらたらだったじゃねぇか。」
言われた言葉に唖然とした。ちょ、こいつエスパーか何かなわけ!?何で俺が振られたことまで分かるの!?
「いや、あいつの就職先ってさ海外企業で入社すぐに海外勤務でさ付いて来てって言われたんだけど俺もこっちで就職決まってたし、で自然と別れ話に。」
「ふーん。」
「いや、でもアイツも未練とかそんなの絶対ないよ?」
「そうは見えなかった。」
「いや絶対そうだって。だって指輪してたもん、あいつ。左の薬指。」
そうだっただろうか?全然そんな所見てなかった。こいつそんな所まであの一瞬で?むしろその目ざとさに驚くしかなかった。
「だから安心してよね。」
俺の恋人はお前でしょ?そう言って微笑むフランシスのその笑顔は嘘ではなかったけれど。
「だれも気にしてなんかねぇーよ!」
フランシスは自分がアントーニョのことを気にしていないと本気で思っているらしい。笑顔で手を振るアントーニョをあんな瞳で見ていたくせによく言う…
でもそんなこと教えてやらない。気づかせてやらない。気づかないで。
気づかなければお前は俺のものだろう?
何がしたかったのか私もいまいちよく分からなくなったので強制終了です。
最初は西に未練たらたらででも英の若干卑怯な告白に見捨てる事もできず恋人になったけれど
気が付いたらちゃんと英のことを好きになっていた仏と
いまだ仏は同情で自分と付き合っているんだと信じて疑わない英と
今は恋人(南伊)がいるけどほかの人間に恋している仏が気に食わない西
のはずだったが書いてる途中で黒西仏展開の方が書きたくなってきた。
ということで裏に一つ追加してあります興味がおありでしたらそちらもどうぞ
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