色褪せた君と共に



 すっかり日の暮れた窓の向こうは今も雨が降り続いている。
 どっかの隣人宅の雨ほど不快には感じないが、それでも湿気を帯びて肌に纏わり付く髪が鬱陶しい。
 フランスはここしばらく伸ばしっぱなしになっている髪をかきあげてため息をついた。
視線を下ろすと部屋の中央にあるソファでずぶ濡れになったまま微動だにせず俯くまあるい頭。
「イギリス…。」
 ためしに名前を呼んでみるが返事はない。戦場から直接引っ張ってきたためイギリスの髪からは絶えず雨水が滴り、その紅色の軍服もぐっしょり濡れて色を変えて重そうだ。そのシャツも身体に張り付いて不快だろうにイギリスは一歩も動くつもりはないようでじっとしたまま俯いている。イギリスの座っているソファは多分もうドロドロで使い物にならないなと他人事のように思った。
 まぁ正直他人事だ。

 ため息がでるが、それでもただでさえ体調を崩しているこの馬鹿を何とかすべくフランスはバスルームからタオルケットを引っ張り出した。ばさりと背後から近づき頭に被せてやる、…が反応はない。
 フランスはもう一つ特大のため息を吐いて、無反応なイギリスの髪をがしがしと拭いてやる。ひとまず雨水が滴らない程度に拭ってやると、力の限り拭ってやったので髪はボサボサだがまぁいつも通りで大丈夫だろう。
 髪が乾いたら今度はイギリスの前にまわって重く肌に張り付く軍服を上から順番に剥いでいく。顔は変わらないくせに図体ばっかりが大きくなったがこいつが小さい頃はよくしてやったからどんなに非協力的でも脱がすのはお手の物だ。
 だが正直こんなに大人しいのは初めてすぎて不気味すぎる。
 上半身を脱がしてやって死んだように冷たい肌を擦りながら温もりを分けつつ身体を拭いてやる、とフランスはそこで止まった。
 さすがにズボンは座ったままでは無理だろう。
「あーっと…」
 困ってイギリスを見るがそこに協力するような意思は一欠けらも見られない。仕方がないので先にフランスはイギリスのブーツを脱がす。
 ブーツは中まで水が浸み込んでいてつま先も凍えるように冷たかった。つま先にも温もりを分け与えるようにタオルケットで包み込んで雫を拭き取る。
 そしてまたこの難題に戻ってくる。
「イギリス、ズボン脱がすぞ。」
 無反応のイギリスに一声掛けてベルトを抜いてやり、スラックスを止めていたボタンを外してやる。座り込んだせいもあるんだろう、肌着まで手がつけられないくらい濡れている。フランスはそこまでして一旦手を止めた。
 昔だったら抱き上げて着替えさせてやれたが…だからなんでこいつは図体だけでかくなったんだ。今のこいつを持ち上げるのは限りなく面倒だ。
 フランスはガシガシと大雑把に頭を掻いた。
 イギリスの力なく項垂れた手を首に回させ、自分の左腕でイギリスの細い腰を抱えると右手で肌着ごとズボンを膝まで引きずり下ろした。そのまま一旦イギリスをもう一度ソファに落とした。スプリングに揺られてイギリスの頭がゆらゆらと揺れるが後は簡単だ。フランスはイギリスの足からズボンを抜きとった。ようやく丸裸にしてやったことでフランスは満足感を覚えた。
 一仕事を終えたフランスはそのままイギリスの背と膝裏に両手を通して一気に持ち上げた。お兄さんの矜持でちょっと腰にきたことは絶対に秘密だ。
 そのまま歩き出すとかろうじて引っかかっていたタオルケットがひらりと床に落ちた。当のイギリスは抱えられたことにも身体を隠すものがなくなったことにも何の反応も示さない。
 ―こりゃ重症だな。
 そのままフランスはイギリスをふかふかのベッドに落とした。暖かな布団を掛けてやる。

「イギリス。」
 少し温もりを取り戻したイギリスの頬にそっと手の甲を当ててやる。
「イギリス。」
 もう一度呟いて今度は髪を撫でてやる。

 イギリスは敗戦国だ。本来ならこんな所でぼんやりとしている場合ではないだろう。戦後処理はまだまだこれからだしやるべきことは山ほどある。けれどヒューズが飛んでしまったかのように使い物にならなくなったイギリスをその側近達は俺に預けた。
「良いのかよ。俺一応戦勝国なんだけど。」
「いえ、陛下よりもし祖国に何かありましたら貴方にお願いするようにと申し付かっておりますので。」
「あ、そう。でも俺弱っているこいつに漬け込んで酷いことするかもよ。」
「…陛下は本当に我が祖国が弱られているときに貴方は絶対にそんなことはされないと申しておりました。」
「…あ、そう。」
 どうしても祖国が必要な時まで全ての残務処理は私達で賄いますのでその時までどうかお願いいたします。
 どうなってんだあいつの国は。そしてそれが当たっているだけにフランスも何も言えなかった。こいつを弱らせるのは好きだけど弱ったこいつはとにかく苦手なのだ。
 だから…

「イギリス。」
 そっと温もりを分けるだけのキスを落とす。
 額に、瞼に、頬に、唇に。何の反応もないけれどそっと繰り返す。

「アメリカは、」
 何の反応も見せなかったイギリスだがその言葉に始めて反応を見せた。
「きっと大丈夫だ。前とまったく同じようにとは行かないけれどきっともう一度笑って話ができるようになるよ。」
 ベッドの端に腰掛けて眠ることもできぬイギリスの頭を撫でてやる。いつもならば煩わしそうに振り払われる手もその気力も、それとも撫でられていることさえも気づかぬのか何のリアクションも返ってこない。
「アメリカは、焦ってただけなんだって。お前が好きすぎただけだ。」
「消えろ。」
「え?」
「消えろよ!消えろ!!」
「イギリス」
「適当なこと言ってんじゃねぇーよ!勝手なこと言ってんじゃねぇーよ!全部お前のせいだろうが、勝手にアイツの味方しやがって、アイツに変なこと吹き込みやがって!じゃなきゃアイツがあんなこと言うはずないんだ。幸せだったのに、アメリカと俺は幸せだったのに、ずっと、ずっとあのままで良かったのに、てめぇのせいだ!」
 先ほどまで精気が無かったのが嘘のように声を絞り出すイギリスは今にも壊れてしまいそうで傷つけたのは自分でもあるのにフランスは自分勝手に傷ついた。
「消えろ。俺の前から消えろ!失せろ!!!」
 叫ぶだけ叫ぶと何かが途切れたようにイギリスの身体が傾いだ。慌てて受け止めるとイギリスは気を失っていた。
 フランスは投げ出された身体を抱えてイギリスの身体をゆっくりもう一度ベッドに横たえた。
「イギリス…」
 もう一度ゆっくり頭を撫でて髪に口付けた。

 いつかきっと。
 フランスにとってそれは希望でもなくれっきとした事実であり経験だった。かつて自分も同じように思った。幼い緑の子ども。大切なのに大切だと言えなくて、傷つけて、泣かせてそして去っていった。
 あの時とは全く同じとは言わない。それでもこうして手の届く距離に戻ってこれた。それに俺とは違ってアメリカは良くも悪くも自分の気持ちに素直なやつだ。
 最初はなかなか元通りとはいかないだろう。けれどいつかきっと二人の縁はまた結びつく。いや、この瞬間にも切れることはないのだろう。
 それを羨ましいと妬む自分にフランスは蓋をした。自分とイギリスの間にある縁は強く結びついているけれどその色は自分が望むものとは違ってしまった。きっとこのまま朽ちることなく望んだ形になることもなく繋がっていくのだろう。

 いつか、きっと。

 かつて傷つけたこの小さな子を癒してくれる『誰か』が現れんことを主に祈ろう。




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