心に雨の降る



 あいたい

アイタイ

会いたい

 寒風が吹き抜けるなかアーサーはかじかんだ手を擦り合わせて自宅までの道のりを歩いていた。
 空はすでに暗くなっており、あたりを見回せばぽつぽつと家に灯りがともっているのが目に入る。ふと、自宅まであと数メートルというところでアーサーは立ち止まった。
 自分の家より一つ手前、白い壁がかわいらしいその家は、しかしどの窓にも明かりは灯っていない。その様子を見てアーサーは視線を落としため息をついた。

『会いたい』

―ぽちゃん

心の中に雫が落ちる。アーサーはきゅっと胸をかきあわせた。

まだ大丈夫。まだ溢れない。

いつからだろう?アーサーは怯えていた。自分に、自分の心に。

“会いたい”想いが募るほどそれは雫となってアーサーの心に降り積もった。

―ぽちゃん

あぁ、ほらまた…


「フランシスの、ばか…」





 側にいてくれるのがずっと当たり前だと思っていた。その当たり前が崩れたのは小4の時。

 生まれたときからの隣人だった。3つ年上の幼馴染、フランシス・ボヌフォア。親同士が仲が良く、アーサーとフランシスはまるで兄弟のように、それ以上に仲良く過ごしていた。
 新しく友達を作ることが極端に苦手だったアーサーにとって、生まれたときから側にいるフランシスは(そんなこと本人には絶対言わないけど)唯一の心を許せる人だった。
 小学校に入ってもそれは変わらなかった。学校という場所ほど年の差、そこにある大きな壁を意識する場所はない。でも、二人は学校では一緒にいられない分を自宅で過ごした。

 クラスメイトにも「あのボヌフォア先輩と仲がいいとかすごいね!」なんて言われて。あのってどういう意味だろう?なんて思いつつもそう言われることが誇らしくもあった。

 でも、

 何がきっかけかと言われたらアーサーには「学校」と答えるしかなかった。
 フランシスは中学入学と同時に傍からいなくなってしまったのだ。

 小さいころからしてくれていた家庭教師は「もう来ない。」と言われた。それは幼い自分にとってかなりの衝撃で、母さんに「なんで?どうして?」ってすがりついたけど、「しょうがないのよ。フランシス君は忙しいんだから。」そう言われて引き下がるしかなかった。

 フランシスとすごす時間がなくなってしまう!あの居心地のいい、あの時間がなくなってしまう!幼心にもアーサーは必死だった。
 必死に隣家へ通いつめた。

 「一緒に遊ぼう!」
 一度目に行ったときにはフランシスの母が出た。「ごめんね、アーサー君。あの子帰ってきてないのよ。」
 「勉強を教えて!」
 二度目に行ったときには誰も出なかった。
 「フランシス、今、暇?」
 三度目に行ったときにはフランシスが出た。瞳を輝かせてアーサーは「一緒に遊ぼう!」って言うと後ろから知らない声が聞こえた。
 「なんや、フランシス誰か来たんか?」
 「ケセセ、よぉガキんちょ。フランシスの知り合いか?」
 「ごめんね。アーサー友達が来てて、悪いんだけどまた今度。」
 そこにあったのはアーサーの知らない空間だった。アーサーの共有できないフランシスの空間だった。その瞬間見慣れた隣家が全く別の家に見えてアーサーは逃げるように走りかえった。

 四度目は、五度目は…
 “今度”なんてなかった。

 『会いたい』

 ―ぽちょん

 初めて雫の音を聞いた。

 アーサーにとってすべての元凶は学校にあるようにしか思えなかった。フランシスと同じ学校に行けばきっとまたあの時のように仲良くできる。
 そう信じたかった。

 もしあの時フランシスと同じ学校に行けていたら何かが変わっただろうか?

 アーサーは結局一緒の学校へは行けなかった。フランシスの通う学校は有名な私立のエスカレーター式の中高一貫校。両親が高名な音楽家であるフランシスとただのサラリーマンの家庭では学費にかけられるお金も違う。アーサーは地元の公立中学に通わざるを得なかった。

 新しく始まった学校生活は味気ないの一言だった。ただでさえ友達と呼べる人がいないのにそれさえも分裂して入学した中学で友達と呼べる人など一人もいなかった。

 そんな時はフランシスのことを思い浮かべた。一緒に楽しく遊んだ日々、勉強を教えてもらった日々。問題に正解したら頭をくしゃくしゃと撫でてくれる感触、夕暮れ時、二人で手を繋いで帰った手のひらのぬくもり。フランシスの笑顔。

 頬に落ちる唇の感触。

 でも、フランシスはここにはいない。フランシスはここをしらない。フランシスはどこにもいない。

 『会いたい』―ぽちょん

 『さびしい』―ぽちょん

 『笑って、俺に笑いかけて』―ぽちょん

 『手を繋いで、傍にいて』―ぽちょん


 『好き』

 ―ぽちょん 

 一滴の雫が器から零れ落ちた。

 『好き』

 こぼれた雫が胸を侵略する。

 『好き、フランシスが好き。』

 あぁ、たった一滴だけでこれほど胸が熱くなるのに、もしこの雫が溢れたら俺はいったいどうなるんだろう?

 その時はすぐに訪れた。

 中学も二年目になってアーサーは塾に通うようになった。フランシスとは相変わらず、小四で学校が離れてしまってからほぼ五年。まともに顔さえも見れていない。たまたま玄関口で顔を見合わせても挨拶さえもしづらくなっていた。何より二人の学校は家を中心に反対側にある。
 それでも塾に通うようになって少しだけ通学圏が重なったことでちらちらとフランシスを見かけるようになっていた。五年の月日はフランシスを天使のような姿から、テレビに出てくるよりもかっこいい青年に変えていた。別に意識してるつもりなんてない。なのに、目が自然と見つけてしまうのだ。追ってしまうのだ。

 フランシスに瞳も心もすべて引き寄せられてしまうのだ。

 『会いたい』
 『触れたい』
 『傍にいたい』

 加速しはじめた心はもう止まらなかった。雫の落ちるペースが速くなっている。アーサーはきゅっと胸元を握り締めた。いまやフランシスへの想いは器いっぱいに表面張力で平穏を保っているに過ぎなかった。一瞬たりとも気を抜けばすぐに想いが溢れ出してしまいそうで、そうなれば自分がどうなるか予想もつかなくて。怖かった。

 「そういえばフランシスの奴さ、まぁた女振ったらしいぜ?」
 電車のホームで重いかばんを持ちながら電車を待っていたアーサーの耳にアーサーの渇望する名前が飛び込んできた。
 「何言うてんの?フランシスは先週付き合い始めたばっかりやんか。」
 「だから、その彼女振っちまったらしいぜ?ケセセ」
 「今月で何人目や?相変わらずうらやましいやっちゃ。」
 「ま、そうなるって分かっててアイツに告白する女も女だけどな。」
 「それ女子たちも彼女いない歴=年齢のプーちゃんに言われたないと思うで。」
 「な、お、俺は別に!」
 「あぁ、はいはい。プーちゃんはエリザちゃん一筋やもんなー」
 「て、てめ!何言ってんだよ!!…」

 ちらっと横目で見た二人はフランシスと同じ制服を着ていた。
 あの二人はアーサーの知らない今のフランシスを知ってる。
 フランシスの恋人。別れた?
 アーサーはフランシスに会えないでいる。会いたいのに、会えない
 でも彼らは会っている?フランシスに?傍にいる?笑いかけてもらっている?
 
 ―ぽちょん
 雫が水面を震わせる。何かが溢れ出したのを感じた。


 気が付いたらアーサーはフランシスの家の前に居た。
 右手にかばんを持ち左手はぎゅっと胸元を握り締めてフランシスの家を見上げる。今日は塾も早く終わりまだ六時であたりは夕暮れから夜の闇へと移り変わろうとしている。
 しかし、フランシスの家に一つの灯りもないことを確認しアーサーは意を決した。

 アーサーはゆっくりと門を開けた。門の中に入れば右手にある赤いバラの鉢植えをそっと持ち上げると鈍色のカギがキラリと光る。この時間に家の明かりがないとしたらおじ様もおば様も仕事で帰ってこない可能性が高い。カギも手に入れた。

 アーサーはゆっくりとカギをさしこみノブを回した。

 ―… もう雫の音は聞こえなかった。


 久しぶりに入った彼の部屋は随分変わっていたもののアーサーの知る彼の部屋だった。
 知らない家具が増えてる。CDこんなの聞くんだ。真新しいものもたくさんある。けれど…

 ぱふん

 アーサーはフランシスのベッドに腰掛けた。するとふわりと風にまってフランシスの臭いが漂ってくる。
 
 「フランシスの臭いだ…」
 アーサーはなんだか嬉しくてそのままそっと身体を横にした。フランシスの枕に頭を乗せるとまるでフランシスに頭を撫でてもらっているような気分で、フランシスに包まれてるような気分で。
 何かと寝不足だった日々を思い出しアーサーの目がとろんとなった。
 「ちょっとだけ…」
 アーサーは自分が眠りに引き込まれるのを感じた。

 
 「ん…」
 かすかな物音を感じてアーサーは眠りから呼び起こされた。
 すると、ガタン!突然間近でなった物音に驚くとすぐそばにフランシスが何やら足元を痛そうに抑えている。

 これは、夢?だってフランシスが目の前にいる。ここはどこ?
 「ここで何してるの?」
 寝ぼけ眼でぼんやりとフランシスを見つめていたアーサーはフランシスのキツイ声音に方を震わせた。意識が急速に戻ってくる。そうか、俺!
 「ご、ごめんなさい!」
 「勝手に入って何してるの?」
 「ごめんなさい!俺、眠くなって、つい…」
 
 見たこともないフランシスのキツイまなざしにアーサーの舌がもつれる。

 「ごめんなさい!勝手に入ってごめんなさい!でも、おれ…」
 「いいから帰れ。」
 「え?」
 「今何時だと思ってるんだ?」
 「あ、」
 言われて慌てて時計を確認するとすでに時刻は9時を過ぎていて、窓の外もすでに夜の帳が落ちていた。
 「あ、あの、おれっ!」
 「おばさん、心配してるだろ。いいからさっさと帰れよ。」
 
 フランシスへ伸ばそうとしていたてがふるりと震えて止まった。怖い、フランシス怒ってる。待って、待って!帰さないで!嫌だ!俺、俺は!

 「だって!フランシスが会ってくれないから!!俺、フランシスが好きで…でもお前全然、会えないから…っ。」
 「…っ。」
 だんだん尻つぼみになっていく言葉にフランシスが息をつめるのを感じた。

 言った、言ってしまった…アーサーはぎゅっと服の裾を握り締めた。怖い。心臓の音がばくばく言ってる…言うつもりなんてなかったのに!
 どうしよう、どうすればいい?助けて!!

 「チッ」
 静かな部屋に響き渡った痛烈な舌打ちにアーサーはびくっと震えた。するとフランシスの手がぐっと胸倉を掴んでアーサーを引き上げる。
 「んぅっ」
 気持ち悪い、そう殴られるのも覚悟してアーサーがびくんと目を瞑るのと同時に唇に触れた感触に、アーサーは驚いて目を見開いた。
 「ん、っゃぁ、は、んぅ!」
 次いで差し込まれる舌にアーサーはぎゅぅっとフランシスの制服にすがりついた。頭がくらくらする。それでも、はじめて与えられるフランシスの口付けに必死で答えようと、そっと口を開いて自ら舌を差し出した。
 フランシスの舌がアーサーの舌の先端をくちゅっと押す。そのまま深く舌を差し伸べすべてを絡めとるように絡ませる。上の敏感なところをなめられると「んっ」と鼻に抜けるような声が出た。
 ようやく解放されたときにはアーサーは息苦しさと恥ずかしさと、気持ちよさですっかり顔が真っ赤に染め上がっており、フランシスに掴まっていないと立っていられるかも怪しくなっていた。
 「や…っ!」
 のぼせあがった意識ではぁはぁと荒い息を整えていると不意に下肢を撫でられアーサーは思わず声を上げていた。
 「ねえ、それって俺とこういうことしたいってこと?」
 まるで鼓膜さえも犯してしまうかのように耳元に直接吹き込まれた音に、思わずアーサーは真っ赤になって首を横に振っていた。そういうことに興味がないわけではない。考えなかったわけでもない。むしろフランシスとなら…
 けれど、アーサーはまるで別人のような大人の顔で触れてくるフランシスがただ怖かった。自分がこのままどうにかなってしまいそうで恐ろしかった。

 でも、これは間違いだったのかな?

 「さっさと帰れよ。」
 急に冷たい調子で言われた言葉にアーサーはびくんと震えた。涙で潤んだ瞳でフランシスを見やる。フランシスと目があった瞬間アーサーはかばんを拾い上げ脱兎のごとく逃げ出した。
 
 どこにもいなかった。入ってきた時のように冷たい目で見下ろすフランシスの瞳のどこにもアーサーは映っていなかった。そこにあるのはすべてを凍らせるような“蒼”。

 溢れる涙を止めることも出来ずアーサーは私室へ駆け込み、ベッドにダイブした。涙が止まらなかった。

 五年間、ずっと夢を見ていた。もう一度フランシスの隣に立てる時を。フランシスに優しく触れてもらえる時を。
 なのに結果はどうだ?あったのは冷たい目線と、冷たい、唇… 涙が溢れて止まらなかった。

 嫌がらせのようにされたキス。なのにそれさえも嬉しいなんて、

 「俺、終わってる…」

 ひとしきり泣き終えてアーサーは身体を起こした。

 「も、やだぁ…」

 腰が重い。体が熱かった。

 「…ふらん」

 ゆっくりと手のひらをズボン越しに押し付けるとすでにそこは熱をはらみゆるりとたち上がりかけていた。
 ズボンのベルトをはずしゆっくりとズボンを下ろす。下着に手を差し入れ直に触れると「んぁあ!」という殺しきれなかった声とともに体に電流が走ったように震えた。

 「っ、ぅっく、ひ、ふらん…っ」

 ゆっくりと手を上下に動かす。

 思い起こされるのは先ほどのフランシスの冷たい目。きっと気づかれたに違いない。キス一つだけで身体を熱くさせていた俺を、その浅ましい身体を。
 きっと嫌われた…気持ち悪いって思われた…

 もう、二度と昔には戻れない…

 アーサーの眦を雫が一つ零れ落ちた。涙はぱたっという音を立ててシーツに丸いシミを作る。

 「ひっく、う、うぇ、んぅ、っぁ!」

 自分が泣いているのか感じているのかそれさえもわからなかった。ただ頭が真っ白で、手が、止まらない。

 「っや!ぅぁ、ん、んぁああ!!」

 その時頭の中がはじけるような感覚と共に何かがアーサーの手のひらをぬらした。

 「はぁ、はぁっぅ、」

 手を取り出すとアーサーの手のひらは白い何かでべっとりと汚れ、特有のツンとした生臭い臭いを感じた。

 初めてだった。自慰をしたのも、達してしまったのも、初めてだった。初めてで、フランシスを汚してしまった。自分の精液でどろどろになった手のひら。

 これを知ったらフランシスはなんと思うのだろうか。
 またあの冷たい目で見られるのだろうか?
 まるで汚らわしいものでも見たかのように?



 涙が頬を伝った。


 それを受け止めてくれる人も、ぬぐってくれる人もアーサーにはいない。

 誰もいない。

 アーサーは一人だった。

 どうしようもなく一人ぼっちだった。

 「ふらん…」

 つぶやいた言葉はアーサーの部屋を漂い、そして消えた。


 ―ぽちょん
 ―ぽちょん

 またこの世界に帰って来た…心に降り注ぐ雨の音。止まらない。

 好き
 心に雨が降っていた。




しまった…終わり方がわからないぞ…
ほら、私なんかに任せるからゆうみちゃんのすばらしい設定が駄文になった。シリアス化したじゃん!
とりあえず、すいませんでしたorz
返品可でゆうみちゃんに捧げます。そして続く、んです。たぶん。

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