Je suis tres heureux.

  



5月30日

決して忘れない。忘れられない。

彼女が永遠になった日。



 朝。瞼の裏に朝の光を感じフランスは自然と目を覚ました。
 目を覚まして最初に視界に写ったものに自然と笑みがこぼれる。

 ゆるく囲うようにした腕の中にいる彼はまだ眠っていて時折すがるようにフランスが羽織っているシャツの胸元を握り締めている。
 その姿は昼間の元ヤン紳士とも夜の見せる世界のエロ大使とも違い驚くほど幼くあどけない顔をしている。

 寝顔だけは変わってないな。1000年以上前、小さな島で実の兄たちにいじめられて森の中で震えていた少年の面影がわずかに残る寝顔を見るのがフランスの朝の楽しみだ。
 あんなに可愛かった少年があんな素直じゃない暴力人間になるなんてお兄さんやっぱり認めたくなーい。ってかどう考えても俺のせいだよなー。懐いていたイギリス侵略しちゃって100年以上続くような泥沼の戦争したら誰だってひねくれたくなるよなー。

 そんなことを考えながら赤く腫れた目元をそっとなでる。
 そういや昨日冷やすの忘れたな。

「あぁあ。こんなに泣いちゃって。」

 声に出してもう一度そっとなでるとむずがるようにイギリスは特徴的な太い眉をピクリと動かしたがまだ起きる気配はない。それに安心してフランスはそっとイギリスを離し朝食を作るために階下に降りた。



 暖かかったぬくもりが傍から離れたのを感じイギリスは薄く目を開いた。視界に入る情報からここがフランスの寝室だということを理解すると。はぁっとため息をはいてもう一度瞳を閉じた。
 そこでどうしてイギリスの自宅にいたはずの自分がここにいるのか考える。

 確かに昨日は仕事が終わって自宅に帰り、適当にメシを作って大量に購入した酒を飲み始めたはずだ。

 もう一度目を開いて情報を収集する。ってか視界狭いなー

 そう思って持ち上げた指先が触れる自分の顔、瞼はどことなく腫れぼったい気がする。


 そっか。めちゃくちゃ泣いたんだっけ、俺。

 思い出した。今日は5月30日だ。

 またやってしまった。そのことに思い当たり、イギリスは特大のため息をもらした。

 イギリスには年2回、自分でもどうしようもなく不安定になる日がある。

 7月4日、大切に大切に慈しんで育てたただ一人の子どもが土砂降りの雨の中俺の手元から離れていった日。

 そして5月30日、ほんの小さかったころからとてもとても大好きで、ずっと思い続けてきた彼が大切にしていた一人の少女を無実の罪で殺した日。

 この日が来る数日前から体調不良になり、精神不安定になる。それを打ち消すために大量に酒を飲んでしまう。そして酔っ払ってよけいに不安定になって大泣きするという悪循環だ。
 そうなるとどうしても一人でいるのがいやになって無意識に家を飛び出しユーロスターの最終便に飛び乗ってしまうのだ。

 ユーロスターができる前は一人で耐えることができていたのに地続きになった途端にこのざまだ。
 甘えているなとそう思う。依存しているなと思う。

 今日はフランスだって俺の顔なんて見たくないはずだ。フランスはきっと俺を憎んでる。今日はフランスがとても大切に慈しんだ一人の少女を俺が殺した日なのだから。

 それでもフランスは突然やってきたイギリスを追い返したりしなかった。しょうがないなと苦笑して前後不覚になるほど大泣きを始めた俺をやさしく抱きしめてずっとあやし続けてくれた。


 どうして泣いてるのよ?お兄さんに言ってみ?
 もう泣いてるだけじゃわかんないでしょ?

 どうしてそんな事言うの?憎んだりしてないよ、嫌いになんてなってないよ、…独りになんてしないよ。
 ずっと一緒にいるよ。
 大丈夫だよ。ちゃんとお兄さんは坊ちゃんのこと愛してるよ。
 愛してる。愛してるからもう泣かないで。


 ってうわ、俺何言ってんだ!!?? ストップ!俺の記憶ストップ!!余計な所まで思い出さなくていいから!

「って、なぁに一人で百面相してんだ?」

 一人昨日の記憶にのた打ち回っているところにいきなり声を掛けられて身体が飛び上がった。
「ってめぇ!どっどっからみてやがった!!」

「どっからって今来たとこだけど…何?なにかお兄さんに見られて困るようなことでもあるのかな〜坊っちゃんは?」
 そういって突然現れてによによし始める奴に更に頬に熱が集まっていくのがわかった。

 ぜってぇこいつわかってて言ってやがる!

「別にっ!なんでもない!」
「そう?じゃあぁ下に降りといで。朝食出来たから。」

 いつもだったら絶対ここで突っかかってきて口論になる所をスルーされて優しく頭を撫でられフランスは先に下に降りていった。

 あぁ。甘やかされてるなーと思う。

 フランス。かつての宗主国。幼かった俺にとっての唯一であり絶対のひと。

 かれはとても優しい。兄達にいじめられて泣いている俺を優しく抱きしめてくれたのはお前だった。その手を振り切って宣戦布告を叩きつけたときただ黙って受け取ってくれたのはお前だった。長きに渡る戦争が落ち着くたびに様子を見に来て優しく頭を撫でてくれたのはお前だった。

 彼が愛した少女が処刑された後今度こそ完全に彼に憎まれたと思うと怖くてしょうがなくて自室でシーツに包まって震えた。
 次に彼に会うのが怖くて怖くて仕方がなかった。

「本当は俺もあの子を殺したくなんてなかった!」

 そんな都合のいいことを言って泣いて縋れば彼は許してくれまいかなんてことまで考えた。

 事実、俺は彼女の処刑に異を唱えた。上司に訴えたった一人少女を殺したところでなんになるんだと訴えた。

 でもそんなこと関係ない。彼女はすでにこの世を去った。

 俺は処刑を止められなかったのだ。
 
 会うのが怖くて、でもとうとう彼と会わなければならなくなった。

 久しぶり会った彼は真っ赤に泣き腫らした目でそれでもイギリスを見て微笑みかけてくれた。
 その笑顔を見て「なんでお前は笑うんだ!俺のことが憎いくせに!殺してやりたいと思ってるくせに!俺があの女を殺してやったんだ!憎いって言えよ!殺してやりたいって言えよ!」と何かが切れたように俺は叫んだ。

 本当はフランスに嫌われることがとてもとても怖かったくせに、うそでも微笑みかけられて嬉しかったくせに虚勢を張った。

 でもそんな俺に彼は悲しそうな顔をして…

 かれは優しい。

「イギリス。泣かないで?」そう言って優しく目元を撫でてくれた。
「泣いてねぇよ!!」そう言ってフランスの手を振り払ったその手を更に包まれてぎゅっと抱きしめてくれた。
「泣かないで。イギリス。ありがとう。」そうやって優しく背中をなぜる。
「聞いた。あの子の処刑に反対してくれたって。お前の城の子から、あれからずっとお前の元気ないって。ありがとう。処刑に反対してくれて。ありがとう。だから泣かないで?」
 それを聴いた瞬間何俺の城の人間と勝手に仲良くなってんだよとか言いたいことはいっぱいあったのに何もいえなくて、本当に泣いてなんてなかったのに目の前にあったフランスの金髪が滲み始めた。
「泣きたいのは俺じゃなくてお前だろうっ!?」精一杯強がったけどたぶんそんなことも気がついているんだろって思う。
「泣かないで。イギリス。あれは戦争だった。お前は悪くないよ。悪いのは俺。戦場に出る彼女を止められなかった俺。彼女を殺したのは俺だよ。」

 かれは優しい。

 イギリスはそれを聞いて愕然とした。彼女は最後まで祖国を愛してる、祖国のために、と言っていた。彼女は本当にフランスのことを愛してた。彼女はフランスに殺されたなんて思っていないはずだ。彼女にとって憎むべき英国、俺にさえ彼女は微笑んだ。あの人のことをよろしくね。そう言ったんだぞ!
「おまえのことをよろしくって言われた。俺、敵なのにそんなこと頼むのは筋違いだって言ったら、でもあなたならこれから先も彼の隣に居てくれるでしょう?って」
 その言葉を伝えた途端に抱きしめてくれた腕が強くなったのを感じた。

 かれは優しい。

 その苦しみ、その痛みを誰かのほかの奴のせいに、俺のせいにすればいいのにそれをしない。彼は自分を責めて責めて責めぬく。
 俺には楽になるから泣いちゃいなって言うくせに自分は決して人前では泣いたりしない。俺の前でも泣いたりしない。

 かれは優しい。彼に優しくしてあげれる存在はこの世にあるのだろうか。彼に泣ける場所はあるのだろうか。
 リビングのドアを開けるとおいしそうな朝食のにおいが漂ってくる。

 毎年この日はフランスはイギリスをとびきり甘やかしてくれる。本当に泣きたいのはフランスのはずなのに。
 
 あれから600年近い時が流れようとしているのにまだ俺は一度も彼の涙を見ていない。

「遅かったな。さっさと席に着けよ。お兄さんご自慢のお料理が冷めちゃうでしょうが。」

「あぁ。悪かった。」

「なぁに〜なんか素直だね坊ちゃん。」
「そのによによした笑い方やめろこのくそワイン」
「あぁ〜せっかく朝食用意してやったお兄さんに対してその口の聞き方はないんじゃないかなこの眉毛」
「あ?お前が勝手に用意したんだろうが?」
「うわぁ。じゃぁ食べなくて結構です!」
「誰もたべねぇなんていってねぇ!!」

 いつもの口調。いつもの会話。朝の風景。

 それでも本気で怒ったりしない。青い瞳には優しさと悲しみと後悔が満ちている。

 食卓の上には彼を現すユリの花。

「今日の予定は?」口論を切り上げて質問した俺にフランスはちょっとびっくりしたように青い瞳を丸くさせたがすぐに苦笑して、
「今年も一緒に来る?」と聞いてきた。それに俺は声に出さず首を縦に振ることで答えを示す。

 ふと後ろを振り返ると窓の外は青い空が広がって太陽が燦燦と降り注いでいる。

 それにつられてフランスも窓の外を眺めた。青い空を眺めながら今日の予定を組み立てる。今日は絶好の墓参り日和だ。イギリスを連れていくなら着替えを用意して、昨日は着の身着のままで来やがったからな、途中花屋でユリの花を買ってあの子に会いに行こう。

 とびっきりの笑顔で今年の俺も幸せだって伝えよう。



 笑顔が一番好きだといってくれた彼女の言葉を忘れない。

 たった一度だけ彼女の前で流してしまった涙を拭ってくれた手のぬくもりを忘れない。


 ふと気づくとイギリスはすでにこちらに向き直り不安げに大きな翡翠の瞳を揺らしていた。この目の前の存在を愛しいと思う。

 600年がたってもどこか不安げな彼の頭を撫で微笑みかけるとまだぎこちなかったが微笑み返してくれた。
 この瞬間が幸せだと思う。愛しい子ども。その手を離して敵同士になって、でもこうして今となりに居てくれる。子どもは大きくなり愛しい恋人となった。

 ジャンヌと最後に交わした言葉を思う。

「幸せになってください。あなたの幸せが私の幸せです。」


 あぁ、ジャンヌ、今俺は幸せだよ。


 



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